「西郷輝彦さまのポンチ後援会長」

週末はファミレスで食事、が習慣になっていますが、いつも思うことですが家族連れの客の間で会話が無いことです。

殊更耳を澄ませて注目しているワケではありませんが、隣の席に座っていれば、好むと好まざるにかかわらず様子が目に入ってくるものでございます。

例えば子供2人と両親の4人家族の場合、子供が小学生以上であれば間違いなく子供たちはスマホを手にして見入っています。ゲームに熱中し、目の前のテーブルの上の食べ物はそっちのけでゲームに一心不乱なのでございます。

両親はといえば、そんな子供を注意するでもなく、夫婦はまた互いに会話を交わすこともなく、それぞれがスマホを開いて見入っているのでございます、。

好物の料理をテーブルの上に並べて、楽しい会話をしながらの一家団欒などという昔懐かしい姿は昭和のものとなっているのでしょうか。

あれよあれよという間に子供たちは大きくなって親元から育ち旅立って行くというのに、折角のこの家族一緒の子育ての貴重な時間を互いがソッポを向いて過ごすだなんて、なんという勿体ないことを、と、残念に思われたのでございます。

手前どものガキの頃は、その日暮らしの食うや食わずの困窮の日が続いて、家族で外食などという機会は滅多にありませんでしたが、それでも母親が連れて行ってくれたデパートの食堂で食べた鮨と、父親に連れていかれた飲み屋で食べたラーメンの味は、いまだに覚えています。

母親と一緒に鮨を食べたのは、小学生の高学年の時でした。それまで「鮨」なるものを食べたことはありませんでしたが、母親が注文してくれた「鮨」が目の前に出された時は、これが噂に聞いていた「鮨」という食べ物かと、異様なほどに興奮したことを今でも覚えているのです。

「鮨」といっても、鉄火巻きのブツ切りと、卵焼きにマグロやイカやタコの切り身が乗った「並」の鮨でしたが、手前どもはそれでも「こんな贅沢をしていいのだろうか」とある種の不安に駆られたのでした。

母親はその日何故か上機嫌で、自分も一緒の「鮨」を注文し、もくもくと頬張っていましたが、母親にとっても滅多にないご馳走であることはわかっていました。

「どうだ、ウメえか?ウメえだろう?」と微笑みをたたえながら、何度も嬉しそうに聞いてきた母親の顔が忘れられません。

互いにスマホを眺めながらのファミレスの家族と同じく、言葉を交わすことはありませんでしたが、何かの言葉を口にしなくても、母親との間には「極上の幸せ気分」の心がピッタリと通じ合っていた濃厚な時間でした。

父親に連れて行って貰ったのは、一緒に見に行った「明治大帝と乃木将軍」の映画の帰りと記憶しています。

その居酒屋風の飲食店に入った瞬間に、店内の店員たちが向けてくる冷たい視線や、父親にかけてくるゾンザイな言葉で、普段どんな風に扱われているかがわかりました。

子供心にいたたまれない気持ちとなったのですが、運ばれてきた美味しそうなラーメンを見たら、矢も楯もたまらず、割り箸を割って喰いつきました。父親はそんな手前どものがっつく姿を、ビールのグラスを傾けながら目を細めて見ています。

この時、自分は父親に愛されていることを心から実感できたのです。

父親も母親と同じく、懸命にラーメンを頬張る私を見ながら「ウメえか?ウメえだろう?」と何度も聞いてきたものです。

後年、手前どもが小学生の息子を連れてスキーに行った折に…

 

 

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