「”マンションでの挨拶禁止”について / AVを貶める者への果たし状」

◆満員御礼!11月28日(月)PM7:00~「全裸監督 村西とおる伝」発売記念イベント

皆さまにお会いできますことを楽しみにいたしております。

http://www.tokyodo-web.co.jp/blog/?p=12815

 

室から外に出ようとしてエレベーターに乗ると、マンションの他の住民が別の階から乗ってきます。どちらからともなく狭いエレベーターの中で「こんにちは」と挨拶を交わします。

日本のどこのマンションでも繰り広げられている当たり前の風景です。

よく出会う住人の中に3歳ぐらいの女の子がいます。

お母さんは、もう一人の1歳ぐらいの男の子の手を引いてエレベーターに乗ってきます。

3歳の女の子は顔が合うと決まって「こんにちは」と笑顔を見せてくれます。

「こんにちは」と挨拶を返して互いに笑顔で見つめ合います。

マンションから道路に抜ける小さな広場で、車椅子に乗ったおばあさんとしばしば出会うことがあります。

おばあさんはマンション敷地から道路を行き交う人や車を見て気晴らしをするのが、生活のルーティンになっているようでした。

おばあさんと顔を合わせて「こんにちは」と言葉を交わすと、”さあ、今日も頑張るぞ”と元気が体の奥から湧いてくるのを感じます。

報道されるところによると、兵庫県のマンションの住民の皆さまが会合を開かれて、「マンション住民同士の挨拶禁止」を決められたそうでございます。

理由は子供が気安く声をかけられることに慣れて、不審者に誘拐されるのを防ぐため、とのことでございます。

アホか、でございます。

欧米の外国人と一緒にエレベーターに乗りますと、狭いエレベーターの中で必ず先さまの方から「ハーイ」と笑顔で挨拶をしてまいります。

親日的だから、というより、それが彼らの習慣であるからです。

見ず知らずの他人同士が狭いエレベーターの中に閉じ込められた時、「ハーイ」と挨拶することで互いの警戒心を解く効果があります。

”私はあなたに何も危害を加える悪い気持ちの持ち主ではありません、安心してください”の意志の表明が「ハーイ」なのです。

この「ハーイ」を互いに交換することで、警戒心を解いて安心を手に入れることができるのですから、「ハーイ」は社会生活を営む上では欠くことのできない「マナー」でございます。

よく山歩きなどをしていますと、人のいない山道で見知らぬ人たちとすれ違う時があります。そうした時は決まって「こんにちは」と挨拶を交わすことが礼儀として身についています。

これも「私は決して不審者ではありません、あなたに危害を加えることはありませんから安心してください」のエールの交換がございます。

またそれは、”万が一あなたに不都合なことが起きたら私はできる限りの協力を惜しみません”との山登りの仲間として善意の表明でもあります。

こうした行き届いたマナーが行きわたっているからこそ、見ず知らずの人間同士が互いを和ませ、心を穏やかにする知恵として人間社会には「挨拶」があるのでございます。

「こんにちは」と言われれば、悪だくみを計画していても、なかなか容易に無礼を働くことができないものです。

「こんにちは」の挨拶はドロボーや不届き者に対する何よりの防波堤となるものです。

この人間社会における合理的な「挨拶」を中止するとは、自ら好んで無防備になるようなものです。

人を見たら泥棒と思え、の教育は決して子供の健全な心の成育に良い影響を与えません。

他人を猜疑心でしか見ることのできない子供などゾッとするではありませんか。

「こんにちは」と挨拶したら、誰でも信用して後について行っていい、ということではありません。

そんなことは教育されなくても子供たち自身がよく分かっています。

車やバイクが走ってきたら、注意をして身をかわすように、不審者とみたら用心するように、と教えればすむことです。

挨拶を交わしたから、それから先は誰でも安心してついていっていい、などとは当の子供たちが思うはずはないのでございます。

「挨拶」は人間社会の基本でございます。

「挨拶」によって人間社会は円滑に回っていくことができるのです。

マンションで住民同士が挨拶を交わすのは最適なセーフティーネットとなるものです。

泥棒や火事、地震や急病人、といったエマージェンシーの事態では住人同士が助け合ってこそ危機から脱することができるというものです。にもかかわらず、互いに運命共同体、同じ船に乗っている同士が日頃の挨拶を交わすことができないことは大きな損失でございます。

子供の頃、母親から、道で会った人には必ず挨拶をするように、と教えられました。

田舎のことですから、道を歩いていても他人と出会うことは滅多にありませんでした。

しかし、たまに出会うことがあると(相手は大人です)大きな声で「こんにちは」と挨拶をしました。

挨拶をすると必ず相手のオジさんやオバさんが後日母親に「ヒロちゃん(本名)は元気に挨拶してくれた」と報告がいくことが分かっていたからです。

母親は「今日はどこそこの誰が、昨日は誰それの誰が、お前のことを”ちゃんと挨拶した”と褒めてくれた」と上機嫌となり、時には客用に隠していた菓子などをくれるのでした。

こうしたことで身についた、子供の頃の習慣とはありがたいもので、自意識が芽生え、恥しさを覚える多感な高校生になっても元気な声で「こんにちは」と挨拶を交わし、頭を下げるのが苦にならないのでした。

こうした伝統は今でも我が故郷では生きていて、田舎に帰ると、小中学生、高校生に道ですれ違う都度に「こんにちは」と挨拶をされて、清々しい思いをするのでございます。

この頃ではなんでも損と得で物事を考える傾向があるのでございますが、もし挨拶の損と得を考えれば、はるかに得であることに思い至るはずでございます。

パリ生活16年のセレブな生活を満喫されておられる元フジテレビアナウンサーの中村江里子さまによれば、パリでは12歳以下の子供が街を一人歩きすることが法律で禁じられているそうでございます。

誘拐がビジネスとなっていて、子供を狙った不審者による犯罪が後を絶たないからです。

外歩きを周囲に気を配ってしなけらばならない子供たちの緊張と疲労はいかばかりでございましょうか。

翻って、我が国は、といえば、そんな無粋な法律はどこにも見当たりません。

手前どもが住んでいる東京都新宿区の端にある小学校では、下校時の2時半となりますと、街角に設置されているスピーカーから「これから子供たちの下校時間です、皆さんの見守りをよろしくお願いいたします」とのアナウンスが流れます。

小学校の門から出て、友達と連れ立って歩いている小学生の集団に「こんにちは」と声をかけると「こんにちは」と元気な声が返ってきます。

マンション住民が姑息な取り決めをしなくても、子供たちは元気に挨拶を交わし、社会に羽ばたいているのです。

人間社会においては「挨拶」は基本でございます。いかなる屁理屈をつけようとも、その挨拶をしないようにしよう、との料簡は受け入れられないものです。

そのうち、なにか見ず知らずの人に救われることがあっても、「ありがとう」を言うと巻き込まれるから黙って逃げ去りましょう、の教育が罷り通ることになるのでありましょうか。クワバラクワバラ、でございます。

 

 

芸能界のドン、バーニングの周防社長さまが「週刊現代」誌上で大嘘をコキまくっておられます。

「週刊現代」もその大嘘に相乗りをして「タイコ持ち」ぶりを発揮されております。

その見事な「タイコ持ち」ぶりに、そんなに持ち上げすぎて腰を痛めはしませんか、と気の毒に思えるほどでございます。

「週刊現代」の記事での「「大嘘」のはじまりというのは「これまで沈黙してきた郷ひろみ移籍の真相について語ってもらった」の”キャッチ”にございます。

記事の内容を読み進めればなんのことはない「ジャニーさんとトラブルになったらしい。彼はどんな経緯で辞めたのかは知りません」と、真相など少しも語っていないのでございます。

真相は、ジャニー喜多川の悪癖である夜毎のアナル姦に嫌気をさした郷ひろみさまが「失踪」し、周防さまが「俺に任せろ」と「ホワイト・ナイト」として登場して演じられた、あの「前門のトラ・肛門のオオカミ」のエピソードでございます。

自分に都合の悪いことは口を閉ざし、都合のいいことだけを声高らかに吠える、なんとも喰えないチョウチン記事、でございます。

挙句の果てに記事は「芸能界のドンは最後まで控え目な男だった」としているのでございますから、気は確かなのでしょうか、アホ丸出し、でございます。

ジャーナリズムの本懐は「権力への批判精神」でございます。

芸能界のドン、といわれる権力にすり寄り、口淫のごときご機嫌うかがいをするとは、売れればなんでもやる哀れな夜鷹の品性でございます。

先週の週刊現代の記事は「前編」ということでございましたので、今週月曜日に発売される「後編」ではどんなヨタ話が飛び出すか楽しみにしておりましたのに、残念ながら「休載」となっておりました。

「キジも鳴かずば撃たれまい」と、大人しくしているのが身のため、と急に口を閉ざすことを決められたのでしょうか。

手ぐすねひいて期待して待っていた手前どもには、なんとも拍子抜けの展開でございました。

手前どもは周防さまの「誉れ高き所業の数々」を承知しております。

手前どものところに、ご丁寧にもその「誉れ高き所業の数々」をご通知くださる友人知人に事欠きません。

手前どもが心底怒りを覚えるのは、ドン周防さま以前に、周防さまの前にひれ伏してバター犬のようにシッポを振って恥じない、日本のメディアでございます。

手前どもは他人さまの誰に対しても怒りを覚える、などと高尚なことを申し上げる立場にございません。

が、しかしながら、”ドン”の前でスライム人間となって這いつくばっているがごときのメディアがなんとも情けなく思えて仕方がないのです。

この度の、”ドン”周防さまによるレコード大賞の1億円買収疑惑について、取り上げたのは週刊文春と日刊ゲンダイ、ぐらいのものでございました。

ネットメディアを含めて、普段は「表現の自由」を標榜していながら、こぞってのこの体たらくぶりはなんたるありさまでありましょうか。

手前どもから他人さまに口が裂けても言える筋合いのない言葉を言わせていただけば「プライドはないのか」でございます。

 

 

この春、AV出演を強要された、と訴え出たAV女優さまがおりました。

警察当局は「強要した」とされるAVプロダクションの経営者や幹部を逮捕しました。

このことで一部の女性弁護士による「AVなぞがこの世に存在していることがおかしい」との悪しざまな「AV悪玉論」がメディアに流布され、話題となりました。

これに対し、AVメーカーやAVに携わる業界人からは目立った反論や講義の声を聞くことはありませんでした。

金持ち喧嘩せず、なのか、それとも「臭いものに蓋」のヘッピリ腰ゆえ、であるからなのでしょうか。

普段はAV女優のインタビューや情報で飯を食っている評論家諸氏も、何を恐れてか知らんぷりを決め込んでいます。

業界の草創期からAVに携わってきた手前どもは、こうしたAV業界の腰砕けに我慢がなりません。

以下は、AVを貶める者への…

この続きは「まぐまぐ!」でお読みください...
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