棺を蓋いて事定まる、というのは故人への評価のことでございますが、この度の渡辺徹さまの早逝に際し、未亡人の榊原郁恵さまが見せられたお姿は、まことにもって見事なものでした。
亡き夫を偲んで、本来ならば人目をはばからず泣き崩れたい心境でございましたでしょうが、健気にも報道陣のカメラの前に現れ、笑顔を絶やすことなく「夫・渡辺徹」の笑えるエピソードの数々をご披露なされたのでした。
芸能人の妻、ましてや本人も芸能人であれば、こうした悲しみに暮れている時でも報道陣に向かってのサービスを怠らないという、その芸能人根性に感服したのでございます。
同じく芸能人となった息子を傍においての「漫才」のような「おかしさ」を演じてみせられたことは、流石、渡辺徹の惚れた女房だっただけのことはある、と大いに評判を上げたものです。
勝手を許されるなら、改めて未亡人となった榊原郁恵さまを拝見し「いい女になったものだ」と惚れました。
何を不謹慎な、とお叱りくださいますな。アイドルも、女性として齢を重ね、妻となり母となり家庭人となりて、尚も芸能人として試練の道を歩むと、こんなに深く明るく、魅せる人格を涵養するものなのだと、見直したのでございます。
さぞかし天国の渡辺徹さまも「どんなもんだい」と得意満面なのではないでしょうか。
渡辺徹さまの芸能人としての成果は、この恋女房と連れ添ったこと、に尽きるように思えるのです。
人間、死んでしまえばそれまでよ、ではございます。人間は二度死ぬ、一度目は肉体が滅びた時、二度目は誰からも忘れられた時、といいます。
たとえこの世に生はなくても、この恋女房が生きている限り、終生渡辺徹さまは人々の記憶からなくなることはないでありましょう。
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