安倍元総理の国葬に早々に不参加を表明した共産党に続き、立憲民主の幹部連も参列をしないことを明らかにしました。
泉下の安倍元総理も「よかった」と快哉を叫んでおられるにちがいありません。
故人の生前の偉業を偲び称える、いわば晴れの日であるべき葬儀に、イチャモンつけの集団の代表であるがごとき人物たちがやって来たのでは、おちおち枕を高くして永眠できないというものでございましょう。
不浄の輩ども、近づくこと勿れ、でございます。が、かつて総理を務められた野田佳彦さまは、国葬に参加することを表明されたのです。
「総理をした経験から、その職責の重圧と孤独は実に厳しいものがありました。その立場を共有した人間の葬儀に、私の人生観から出ないという選択肢はありません」と申されたのでした。
ご本人は再び政権に返り咲かなければ、このままでは死んでも死にきれないと申されておられます。
こうした日本人の美徳である、故人を侮辱することなく惜別するという心あればこそ、再び多くの支持を得て「死んでも死にきれなかった」政権に返り咲けるというものでしょう。
ヤクザも恥しくなるような「揚げ足とり」に終始し、陰の自民党応援団と嘲られているようではダメだということなのでございます。
先日の政府の発表によれば、安倍元総理の国葬には海外からおよそ6000人の参列者が予定されているとのことです。
ここは国の誇りをかけて、礼儀の国日本に相応しい国際社会から寄せられた敬意や弔意に恥じない国葬を執り行っていただきたいものです。
国内からは日本全国の知事が参列する意向を示している中で、長野県と静岡県、沖縄県の知事は参列しない意向とのことです。
長野県の知事は「その日は御岳山噴火が起きた8年前の日と重なっており、追悼式で追悼の言葉を述べる予定」で参列できないとのことです。
ならば代理でも、と考えるのですが、死んでしまえば知ったことでない、の功利主義者なのでしょう。
静岡の川勝知事は「既に7月下旬に奈良市の銃撃現場で黙祷を捧げたので、その必要はない」との考えを示されています。
個人的にはそうであっても、公に静岡県民の代表として哀悼を捧げる、という誠を持ち合わせていないのでしょうか。屁理屈でリニア新幹線の工事を妨げている国匪はどこまでいっても罰当たりのようでございます。
沖縄県の玉城デニー知事は「7月12日の葬儀にあたり、県庁舎に半旗を掲げ弔辞なども送ったから、これ以上は必要ない」との考えを示しております。
安倍元総理は生前幾度となく沖縄を訪れ、沖縄の発展に心を砕かれたことはよく知られていることです。
その安倍元総理の国葬に参加することなく、個人葬の時に「既に弔意は示した」としている感覚は、「敵であっても死した後は等しくその霊を慰める」という日本人の文化とは程遠いものがあります。
政府はこうした…
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