「東京オリンピックを潰した悪い奴」

尾身会長さまが中央公論(11月号)で「オリンピックの会場に観客を入れても私は会場内で感染爆発が起きるとは思っていませんでした。にもかかわらず”無観客開催”を主張したのは、観客を入れたら国民に人流抑制を求めていることと矛盾したメッセージを送ることになる、と考えたのです」と述べられています。

科学的データをもとに専門家としての考えを述べることなく、世の中の空気に迎合して「無観客」の規制をしたというのです。

この大将に求められているのは、「空気を読む」ことではありません。科学的データに基づき事実を述べることだけです。

後は政治家が総合的に判断し決めればいいことなのですが、尾身ポンタはあろうことか世間の「空気を読んで」政治的判断をしたのだ、というのでございます。

文部科学省は東京オリンピックの開催を前にして、我が国が誇るスーパーコンピューターを駆使し、新国立競技場に一万人の観客を入れた場合、何人が感染するかのシュミレーションを行いました。

答えは1%未満でほとんどゼロに近い数字がはじき出されたのです。

科学者の立場であれば当然のごとく新国立競技場に観客を入れ、有観客で開催しても問題ないという考えを述べるべきでしたのに、ポンタ尾身は人流抑制がきかなくなれば「感染爆発が起きる」と心にもない的外れなことを言って、せっかくの有観客のチャンスを潰したのでございます。

あの頃は反日メディアはこぞって菅政権にダメージを与えんと東京オリンピック開催潰しに動いておりました。

そうしたメディアの風潮は尾身ポンタもよく承知していた筈でございますから、ここは科学者の良心にかけて「なんの問題もない」とモノ申すべきでございましたのに、悪党は真実を語る勇気を喪失していたのでございます。

その結果、3兆円ともいわれる多額の国費をかけた東京オリンピックが無観客で開催せざるを得なくなったのでした。

まったく、度し難い程にアホで無責任な男でございます。こうした偏ったメディアに毒されて短慮なことを口にしていることは、よく知られていることでした。

メディアを敵に回しては、何を言われて蜂の巣にされるかわからない、との怯えもあったのでありましょう。小心者であることは外見からも十分にわかるポンタ尾身でございますので、「コロナ恐い、危ないぞ」のメディアの偏見報道に抗う術がなかったことも、わかるにはわかるのでございます。

本来、こうした場面では総理たる立場の人間がレフェリーを買って出て白黒をつけなければならない筈でしたのに、あの菅総理であったのが不幸でした。

反日メディアに敢然と立ち向かい、日本潰しは許すまじ、と富岳のデータや有観客開催を了とする専門家の考えを、国民に向かい、情熱を持って語りかけるべきでございましたのに、相も変わらず泳いだ虚ろな目で原稿に目を落とし、滑舌ままならないままにボソボソと話すのみでございました。

専門家の皮を被った能無しによって、日本のコロナ禍は傷を大きく広げていったのです。

東京では一日の感染者が一桁台となった今でも、第6波が来るのではと囁かれています。

6波でも7波でも何十波でも構いませんが、我が国のコロナ禍とは、ポンタ尾身に見られるような無責任を「専門家」と「人の不幸はローン返済の糧」のテレビ局によってもたらされた人災であることを、今一度再確認しておく必要があります。

そして新型コロナのみならず、今後も流行するでありましょう風邪ウイルスの感染拡大にあっては、インフルエンザと同じように2類を5類とし、保健所などを通さずとも、どこの病院でも医者でも患者を診察して治療する、という体制を改めて確認しておく必要がある、と考えます。

私たちは、コロナ禍で傷を負いましたが、その傷は単に肉体的な傷だけではありません。テレビメディアの連日の「コロナ恐い」の扇動によって、心が萎えました。

もう元の生活を取り戻すことができないのではと考え、希望を失い未来が見えなくなったのです。そして襲いかかってくる経済苦にもみくちゃにされ、生きる意欲さえ失った人が少なくありません。

これから先、新型コロナのバカ騒ぎが消えても、それらの人たちの負った傷は癒えることなく、やがては自ら命を断つほどまでに追い込まれてしまうことになるのです。

手前どもはそうした犠牲者の数は新型コロナに感染して死に至った人たちよりも、これから先はますます増え続けていくに違いないと考えます。

統計では、男性の自殺者はこの10数年減少傾向にありますが、女性の自殺者はこれまでになく増えている事実を見れば、いかに弱い立場の人たちがコロナ禍でボロボロになってしまったかがわかります。

テレ朝のホラッチョ玉川は「過剰に恐怖を煽った」と嘯いていましたが、その結果は感染者を減少させることよりも、弱い立場の自殺者をこれから先、何年も生み続けていくことになることに、どれだけ思い至っているのでありましょうか、痴れ者め、でございます。

小室圭さまが、お受けになったNY州の司法試験に不合格となられました。あれだけあることないことをメディアに書かれて騒がれては、とても試験勉強に集中することは叶わなかったでありましょう。お気の毒にと同情申し上げます。

人間にとって失敗ほど良き財産となる経験はありません。失敗から多くを学び、大きく成長できるからです。

この度の騒動中の受験の失敗では…

 

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