「私は逆風を浴びて生きてきたから逞しくなったんです」

【5/13(木) 17:00~ 新宿ロフトプラスワン 出版記念トークライブ開催!!】

お待たせいたしました、お待たせし過ぎたかもしれません新著「全裸人生相談 人間だもの」発売を記念いたしまして、皆さまのお股にナイスにご挨拶のエクスタシータイムの刻がやってきました。当日はシークレットゲスト(女性)のお披露目タイムも。ご期待くださいませ。

 

チケットはこちらから→ https://peatix.com/event/1892026

新宿区歌舞伎町1丁目14−7 林ビルB2

03-3205-6864

 

 

 

 

1948年9月9日福島県いわき市に生まれました。父親は国鉄の機関士をしていましたが、大東亜戦争で徴兵され中国大陸に出征しました。

 

1年4カ月後、終戦となり帰国しましたが再び国鉄に戻ることはありませんでした。復員後は傘の修理の行商をするようになったからです。安定した国鉄の職員の職を捨て、どうしてその日暮らしの行商人になったのかはわかりません。生前、父親にそのことを尋ねることはありませんでしたが、母親によれば、中国から帰ったら別人のようになったとのことでした。

 

それ以前の父親がどんな人物で、どう変わったかは子供だった私には知る由もありませんでしたが、中国大陸で生き方が変わるほどの衝撃的な体験をしたようでした。

 

先の戦争では父親の4人の弟のうち3人までが戦死しています。母親のたった一人の弟も昭和20年1月2日、特攻で台湾海峡に散っています。

 

そうしたことが父親の生き方に大きな影響を与えたことは間違いのないことでした。それにしても、と今更ながらに思うのです。よくも傘の修理の行商に手を染めたものだ、と。傘の修理の仕事は雨が降っても駄目、降らなくても駄目という因果な商売です。

 

雨が3日も降れば仕事に出かけることができずに家に籠ったままの父親は不機嫌になるのでした。逆に晴れの日が続いてもまた、父親は不機嫌となって昼間から焼酎をあおるという日が続いたのです。

 

この世にお百姓や漁師といったお天気に左右される仕事は数多くありましょうが、傘修理の行商ほど、晴れては泣き、雨が降っても泣き、というニッチもサッチもいかない商売はないように思います。

 

家族にとって罪深き仕事とは、エロ事師以上のような気がするのです。

 

貧しい生活でした。姉2人と両親の5人家族でしたが、じゃがいもだけが主食で3日も続くという日も珍しくありませんでした。

 

ある日、進駐軍の米国の兵隊さんが…