ザ・デストロイヤーが死んだ、88歳でした。
中学の頃、力道山とデストロイヤーの戦いをテレビで見ました。
デストロイヤーに「足4の字固め」を決められ、苦しさでのたうち回る力道山に向かって、手前どもの家族は精一杯の大きな声を上げて「力道山ガンバレ!」と声援を送ったことを、昨日のことのように鮮やかに思い出します。
父親は先の大東亜戦争で弟3人を失い、母親のたった一人の弟は昭和20年1月2日、台湾海峡で特攻により散っています。
最愛の兄弟を米国との戦争で失った父母にとって、ザ・デストロイヤーは「弟の仇」でありました。
「力道山ガンバレ!」と我を忘れて叫ぶ父と母には、必死に祈るような思いが込められていたのです。
両親の影響を受けて、手前どもも身を震わせて力道山を応援しました。
力道山の形勢が不利のまま試合が続いて「父ちゃん、なんとかしてよ」と父親に助けを求めました。
父親は弁慶の立ち往生のような表情を見せながら、「バカヤロー」とテレビ画面のデストロイヤーに向かい、あらんかぎりの声で怒鳴ったのでございます。
長屋の後ろの家からも、悲鳴に似たような声が聞こえてきました。 もはや力道山とデストロイヤーの一戦は、町内会、否、日本中を挙げての戦いとなっていたのでございます。
その後、様々な映像をテレビで見ることになるのですが、あの力道山とデストロイヤーの戦い以上に興奮した場面を知りません。
それほどまでに、日本人を熱狂させてくれたデストロイヤーが逝かれたのです。 日本人に憎まれ、そしてこよなく愛された不世出の覆面レスラーでした。
昭和の時代のプロレス黄金期を知る手前ども団塊の世代以上の日本人にとっては、米国との和解の礎となった功労者ともいえる人物です。
日本人はデストロイヤーとデーブ・スペクターの存在によって、白人コンプレックスを屈服できています。
日本全国のお茶の間から歓声が上がり、熱狂の渦に巻き込んだ、日本人にとっては「自分たちもやれるぞ」とのやる気を与えてくれた恩人、と言っていい人物であったと思います。合掌。
かつての雇い主であるトランプ大統領を「ペテン師、詐欺師の嘘つき」とまで罵った米国人の元顧問弁護士ですが、本来弁護士が担うべき「依頼人の守秘義務」をこの弁護士はどのように考えているのでありましょうか。
「ペテン師、詐欺師の嘘つき」であれ、依頼人の秘密を守り続けなければならない義務があることは中学生でもわかる道理でありましょうに…
この続きは「まぐまぐ!」でお読みください…