「オウム事件、メディアの罪 / 元看護師の動機」

オウム真理教の麻原教祖ご一行さまが、あの世に召されました。

いっぺんに7名の死刑執行は人権上問題がある、との人権派の皆さまの抗議の声が上がったのでございますが、バカも休み休み言え、でございます。

ならば奴らに殺された27名(起訴後の犠牲者は29名)もの尊い命の人権はどうなるのだ、というのでございます。

坂本弁護士ご夫妻と幼子は、この殺人鬼集団の毒牙にかかって命を奪われています。

坂本弁護士の奥さまは殺人鬼どもに首を絞められながらも「どうか幼い子供だけはお願いだから許してください」と哀願したといいます。

が、にもかかわらず殺人鬼どもはその母親の前で無残にも幼子に手をかけて殺しています。

畜生どもは証拠を隠滅するために、坂本弁護士夫妻の歯をツルハシで粉々に粉砕しています。

その上で頭蓋骨にも大きな穴をあける用意周到さを見せたのです。

景気づけにと長野県の山奥の死体遺棄現場にタラバガニを持参し、食しています。

その後に、その殻を遺体の上にかけ、まるでゴミを始末するように埋葬したのです。

人権派の皆さまに、人権を口にするなら坂本弁護士ご家族が眠る墓の前で同じようなセリフを言えるのか、というのです。

罪のない人たちを見境もなく殺しまくった、この人でなしの殺人鬼どもに死刑以外の別の方法があったでしょうか。

あったというなら是非とも教えてもらいたいものでございます。

もし手前どもが麻原教祖ご一行さまの一員であったなら、一日も早く刑を執行し、あの世に送って欲しい、と焦がれたでありましょう。

多くの人の命を奪っておいて、この期に及んで命乞いをする厚かましさはいくらなんでも持ち合わせません。

聞くところによれば、執行された7名は、動揺を見せることなく静かに執行されていったといいます。

最後の最後に、見苦しいところを見せずに罪を償えたことは、何よりでございました。

よく「なぜ人を殺してはいけないのか」がテーマとして語られます。

孔子は、最も大切な教えとして「己の欲せざるところは人に施すなかれ」と説きました。

相手がして欲しいと思うことをして、自分がして欲しくないことは相手にもしてはならない、とのSEXの極意にも通じる教えでございますが、なぜ人を殺していけないのか、は麻原教祖ご一行さまがあの世に召されていった姿を見れば、明白でございます。

人を殺したら、やがて自分も殺されることになる、だから殺されるのが嫌なら人を殺してはいけない、ということでございます。

麻原教祖ご一行さまの首吊りでの旅立ちが教えとなって、いたずらに人を殺すようなアホが少しでもいなくなることを願うのでございます。

さて、この度の麻原教祖ご一行さまの処刑を、被害者のご家族の皆さまはどう受け止められたでありましょうか。

実に複雑な思いをお持ちになられたのではないかと推察します。

人殺しがむごいことは、殺された本人ばかりでなく、残された家族や愛する人々の人生を奪ってしまうことです。

もし自分の妻や肉親が麻原教祖ご一行さまの手にかかって殺されたとしたら。いかなる感情を持つでしょうか。

多分怒りなど通り越して、悲しみのどん底に沈み、浮かび上がれないままに、生きる屍と化した人生を送るのではないでしょうか。

死刑になって欲しい、とか、この手で殺してやりたいといった報復の感情も湧かずに、ただひたすら奪われた命を返して欲しいと願うだけのような気がします。

愛するものが奪われた喪失感や絶望感から、怒りの感情など生まれてこないように思うのです。

殺人の罪なことは、被害者となった人間の命だけでなく、その愛する家族の幸福な人生をも奪ってしまうことです。

そして、もし、手前どもが殺された被害者であったら、と考えます。

殺した人間を自分の代わりに敵討ちして殺して欲しい、などとは少しも思いません。

もう自分が殺されたことなど一日も早く忘れて欲しいのです。

自分のために恨みつらみを持って、たった一度きりの人生を無駄にして欲しくない、と願います。

復讐など少しも考えて欲しくありません。殺されたことは運命だった、と潔く諦めて欲しいのです。悲しみをいつまでも引きずって、自分の大切な人生を台無しにして欲しくありません。

あの世から、自分のことを慕い、悲しみに暮れてうな垂れている姿を見るのは好きではありません。

生者は死者の為に煩わされるべからず、と言います。

残された人生を精一杯楽しく生きて欲しいのです。幸福な人生を生きて、こぼれるような笑顔を見せて欲しいと願います。

どうせいずれあの世にやって来て一緒になれるのですから、それまでの時間を思う存分生きて欲しいのです。

悲しいこと、嫌なことは忘れてください。私のことを思い出す時は、楽しい時にして欲しいのです。

青空を見上げて、こんな楽しい人生を、あの世にいるあの人と一緒に過ごせたのなら、どんなに楽しいだろうなと思ってくれるだけで十分です。

あなたの辛い顔や苦しい顔を見るのが好きではありません。人生のどんな時を生きていても、笑顔を絶やさない日々を生きて欲しいと心から願っています。

勿論、耐えられない程に辛い時や寂しい時は私を思い出してください。あの世から、きっと私が応援してくれているに違いない、と信じてください。

元気が出る筈です。

いつだって私はあなたの応援団長です。心配いりません。必ずうまくいくから元気を出していきましょう。

あなたがうまくいくように見守っていますから心細くならなくとも大丈夫です。

あなたの中で、あなたの人生を邪魔しないように私は生きています。あなたの心の中で一緒に生きているんです。いつまでもずっと、です。

この世での命はなくなったけれど、胸の中にはいつも私がいる、と思うだけできっとあなたは明日からも頑張れるに違いありません。

何度でも言います。私はあなたを応援しています。負けないで、あきらめないで、明るく楽しく生き抜いてください。それが心からの願いです。

そんなメッセージとともに残された愛する人をあの世から見つめ続けると思うのです。

一休は「生まれては死ぬるなりけり、おしなべて、釈迦もだるまも猫も杓子も」との言葉を残しました。

愛する者を奪われても、究極は怨念の世界から解き放たれて、この言葉に収斂される悟りの世界に生きるしかないのが、人間だもの、でございます。

坂本弁護士ご一家が行方不明になったのは、1989年11月でした。

翌1990年末、手前どもはMZA有明で行われたイベント「ゴージャス!ダイヤモンド祭り」の壇上に麻原教祖のソックリさん、「麻魔羅少将」を登壇させ、「弁護士一家を知りませんか」のキャンペーンを打ちました。

取材にやってきた大勢のマスコミは後難を恐れ、そのことを記事にすることをしませんでした。

僅かなスポーツ紙だけが小さく記事にしただけでした。

しかし、手前どもには坂本弁護士夫妻の行方不明のカギを握っているのはオウム真理教に違いない、との確信がありました。

AV「弁護士夫妻を知りませんか?」を発売し、続いて当時人気のAV女優・野坂なつみ嬢と麻魔羅少将とが共演FUCKをする作品を発表しました。

しかし、これまた話題にしたのはAV業界誌のみでした。

メディアは名誉棄損のおそれがある、疑わしきは罰せずだ、などとの能書きを並べながら、坂本弁護士の行方不明に関与していたことは間違いないオウム真理教への糾弾のノロシを上げることはありませんでした。

それどころか…

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