「お散歩気分で富士山に登る人間はいない、のお話」

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世論調査をすると60代以降の人たちは、共産党をはじめとする野党支持が多いことが分かります。

若者たちの間では自民党支持派が多いのですが、60代以降の革命思想への親近感は、若い時に受けた教育の影響のせいです。

小、中、高、と学校の先生には「赤」に染まった共産かぶれが沢山いました。

中学の時には特に酷く、生徒の授業そっちのけで職員室で日教組に属する先生たちの、校長や教頭を吊るし上げる職員会議が年中行事のように行われていました。

そのおかげで授業は中断し、自習時間となって教室で自由に過ごすことが頻繁にありました。

勉強が得意でなかった手前どもは、これ幸いと大手を振って昼寝を楽しんだものです。

選挙などが始まると、日教組の幹部だった担任の先生は、教壇に立つと今度の選挙では自民党でなく社会党や共産党に入れるように両親に伝えるように、と熱く語ったものです。

今日では教師がそんな偏向教育でもしようものなら大変な騒ぎになるところですが、あの頃は学園内外で日教組の教師が幅をきかせて、そうした洗脳は平然と行われていたのです。

教育とは恐ろしいものです。

子供の頃受けた、そうした教えが60代を過ぎても影響し、いまだに共産主義に親和感を持ち、左翼の候補に投票したりしているのです。

日活ロマンポルノからビニ本、そしてアダルトビデオ時代の業界の仲間たちの中には全共闘の闘士が沢山いました。

反政府運動の一貫として、エロスで戦いを挑んでいる、との気概の持ち主たちです。

手前どももわいせつ罪で逮捕されると開口一番、革マル派か中核派か、とその所属を刑事に尋ねられたものです。

が、手前どもにはそうした高尚な思想信条は全くなく、ただお金儲けが目的でエロ事師の仕事をしているだけでございましたので、刑事の質問には面喰らいました。

「刑事さん、私はそんな大それた考えは全く持っていない人間です、ただお金が欲しいだけで選んだ職業なんです」と申し開きをしましたが、「いつまでもバカを装うカムフラージュはいい加減にした方がいいぞ」と脅かされる有り様でした。

随分と迷惑な買いかぶりでした。全共闘かぶれでエロの仕事を反権力の闘争と位置付けている同業者の闘士の存在が実にハタ迷惑でございました。

しかし彼等の目には、ただの金儲けのために反権力の象徴であるエロの仕事をしているなんて、とんでもない自堕落な奴等、と映ったようで、彼等が主幹事を務める「ビデ倫加盟の懇親会」からは村八分とされました。

そうした結果、AV有力メーカー五社連合と手前どもとの闘い、という形でAV業界草創期の構図が出来上がっていったのでございます。

しかし、警察当局は、長い間手前どものことも革命思想にかぶれた運動家の一人、として見ていたようです。

新宿区矢来町の新潮社の社屋の前のマンションの3階の部屋を借りて編集室にしていた時のことです。

ある日、昼過ぎの時刻に上の階の4階の部屋から皇居に向かってお手製のミサイルが発射されたことがありました。

ドカーン、という大きな音とともに、窓ガラスが激しく音を立てて揺れました。

編集機に向かい編集をしている最中でした。

何事かしらん、と思って階段を駆け下りて外に出てみますと、手前どもの借りていた部屋の真上の部屋の窓が開かれて、煙が上がっているのが見えました。

近所の住民が通報したのでしょう、ほどなくして消防自動車が駆けつけてきました。

しかし、4階からはそれ以上火の手が上がることもなく、慌ただしく階段を駆け上がっていった消防隊員も消火活動を行うことはありませんでした。

代わりにパトカーが数台やってきて、警察官が立ち入り禁止のロープを張りはじめました。

私服の刑事や鑑識の数を入れると、20数人となり、マンションの前は集まってきた大勢の野次馬や報道陣で埋めつくされたのです。

4階の爆発音のした部屋の開け放たれた窓から、2本の鉄の棒が突き出ています。

周囲から、あの窓から全学連の革マル派が皇居に向かってミサイルを飛ばしたらしい、との声が聞こえてきました。

テレビの臨時ニュースで流れていたというのです。

大変なことになった、と思いました。マンションの1階は喫茶店でした。

馴染みの店主が入れてくれたコーヒーをすすりながら、ひょっとしたら自分たちも一味だと疑われて、しょっ引かれるのではないか、と心配になったのです。

エロ事師商売の人間は革命思想の持主、とのレッテル貼りがされていた時代です。

夕方近くになってようやく自分の部屋に立ち入りを許されると、すぐに4人ほどの刑事がやって来て、部屋を見せて欲しいと言うのです。

断る理由は何もありませんでしたので、素直に部屋の中に入れました。

一通りマンションの部屋の3室を見て回り、編集機の前にいる手前どもに、「この機材は何のためのものですか?」と尋ねてきました。

いちいち説明するのも面倒でしたので、編集中のビデオを見せました。

まだAVが一般的でなかった時代です。編集機のモニターからは男と女のカラミの映像が流れました。

4人の刑事は互いに一言も言葉を発することなく、映像が終わる20分ほどの間、しわぶきひとつすることなく黙ってモニターの画面を凝視していました。

念のために、と警察までしょっ引かれてこの間の事情を聞かれるのでは、と危惧しましたが、刑事たちは映像を見終えると、「ご苦労さまです」と言って部屋から出て行きました。

生まれて初めて見た生々しい映像に度肝を抜かれて放心状態となったのではなかったでしょうか。

先週、久しぶりに番組の収録で矢来町のマンション近くに行って来ました。

「過去を訪ねる」という企画でございました。1階の喫茶店は別の店舗になっていましたが、マンションは30数年前と同じままにそこにありました。

いつも通っていた焼き肉屋にも行きましたが、当時、この焼き肉屋では金がなくてカルビやロースを頼むことができず、いつも豚足だけを注文していました。

店主とは35年来の付き合いですが、「あの頃の監督はライスばかりを注文して食べていた」と言うのです。

店主は豚足ではなく、キムチとライスだけを頼む客、と手前どもを認識しているようなのでしたが、「自分は焼き肉屋に来てライスだけを注文するようなそんな嫌な客ではなかった筈だ」と必死になって間違いを訂正しました。

「そんなことはなかった、豚足は間違いなく注文していた」と抗弁しながらも、ひょっとしたら店主の言うように「ライス」だけを頼む無礼を働いたことがあったのかもしれない、ことが頭を過りました。

作るAVがことごとく売れずに、会社は倒産寸前でした。

スタッフからは「監督は作るのを止めて欲しい。俺たちには女房も子供もいるのだから」と文句を言われたこともありました。

いつか必ず、この焼き肉屋に来て他の客が頼んでいるカルビやロースを腹いっぱいに食べてやる、そのことを夢に頑張っていた矢来町時代が走馬灯のようによみがえってきたのでございます。

あの時代の、せめてカルビの肉の一切れを口に入れてみたい、との思いが「なにくそ、こんなことでへこたれてたまるか」との闘争心に火を点したのだと思っています。

前述したとおり、食べるためであって、反権力の思想に染まってエロ事師の仕事を選んだわけではないのですが、エロ絡みで取り締まる権力に対して嫌な思いをしたことは山ほどあります。

35年以上も前のことですが、北海道でテレビゲームのリースの仕事をしていた頃の話です。

趣味はポルノ映画を見ることでした。週に3回はポルノを上映している映画館に通っていました。

特に洋モノが好きでした。好きが高じて画面いっぱいに終生が施されたものではなく無修正のそのものズバリの映像を見たいと思うようになったのです。

知り合いに旅行代理店を経営している男がいました。その男がグアム島に、アメリカのポルノ映画の無修正のモノを映画館に見に行くツアーを組みました。

金額は札幌千歳空港発着で3泊4日、27万円でした。

35年前ですから現在の金額にすれば2倍近い60万円相当の値段ではなかったでしょうか。

迷いはありませんでした。早速申し込んで…

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