今年に入ってまだ僅かでございますが、変わったことがございます。
それは昨年の暮れから続いていたことですが、オナラの出が多くなったのです。
新年早々、尾籠な話で誠に恐縮ですが、ふとした時に下腹に力が入ると「オナラ」が出てしまうのです。
便秘というわけではございません。それどころか毎朝飲んでいるトマトジュース500mlの効果のせいもあってでしょうか、便通の方はすこぶる快調でございます。
ただ、オナラだけが増えているのでございます。
昨晩もこんなことがありました。
帰宅途中に地下鉄に乗った時でした。空いた座席に座ろうと腰を曲げた途端、「プッ」とオナラが出てしまったのです。
座ろうとしていた席の左右には先客さまがお座りになられておりました。
腰を下ろそうとその右側に座られている若い女性の方にかがんだ時だったのです。
「プッ」と出たオナラの音が聞こえました。手前どもに聞こえたということは、少なくとも左右の座席に座っている先客さまにも聞こえたということです。
しかしながら左側の席の中年男性は、何も聞こえなかった風に目を閉じられて瞑想中のお姿でございます。
実際は聞こえていたのかもしれませんが、大人の対応をなされていたように思います。
が、右側の位置の若い女性は違いました。手前どもが座席に腰を下ろしたとみるや否や、ジロリと鋭い目で睨まれてこられたのでございます。
「オヤジ、狭い電車の中で屁なんてコイてるんじゃないよ、死ね」の怒りの気配が伝わってまいります。
勿論でございます。逆の立場であったなら、手前どももそのような「無礼者」に対する腹立たしい態度をとった筈でございます。
ただ、幸いだったのは憤怒の女性がマスクをなされていたことです。
座ってしばらくすると、自分が放ったのではございますが、あのオナラ特有の、嫌な臭いが鼻をついてきました。
このオナラの臭いには自分自身辟易させられるほどに、嫌な臭い、なのでございます。
自分のものでありながら、いつまでも好きになれない、どころか大嫌いなのがオナラの臭いでございます。
が出てしまったものは仕方がありません。今更立ち上がりでもしたらかえって臭いを周囲に拡散させ、多くの人に迷惑をかけることになります。
不幸中の幸いだったのは、マスクのせいで隣の若い女性には音を聞かれても臭いまでは悟られた様子がなかったことです。
左の中年男性は、と様子をうかがうと、変わらずに瞑想の構えを崩してはいませんでした。
ホッとしました。全身に入っていた力が抜け、緊張が解けました。
電車は次の駅に到着しました。
すると今まで瞑想の構えであった左隣の中年男性がスッと席を立たれて電車から降りていかれたのです。
謎でございます。屁の臭いのせいか、実際に降りる予定の駅であったのかは…。
右隣の席に座ったままの不動の若い女性に急に親和感を覚えたのでございます。
不思議でございます。ふと「愛の反対は無関心」の言葉が頭を過ったのでございました。
外交専門家は、今年訪れると予想される問題の一番に「中東問題」を挙げています。
トランプ新大統領は「在イスラエル米国大使館をイスラエルの永遠の首都であるエルサレムに移す」と発言したのです
大使館はそれぞれの国の首都におくことは当たり前だから、との主張です。
このトランプ新大統領が在イスラエル米国大使館をエルサレムに移す、との発言は大きな物議を醸しています。
もしそんなことにでもなったら中東の危機が激化し、湾岸戦争が始まるだろう、と予測しているのです。
エルサレムはイスラム教の聖地です。そこにイスラエルを支える米国が大使館を移すようなことをすれば、全イスラム対イスラエル、米国との戦争になって「中東の平和」は崩壊する事態は避けられなくなります。
これまでの第1次から第4次までの中東戦争は、このエルサレムをアラブ諸国とイスラエルが争って引き起こしたものでした。
それ以外にも、中東を襲う暗雲は沢山数えることができます。
トルコ国内の混乱、シリア内戦の悪化、イラク国内の再分裂、パレスチナ問題の再燃、リビア内線の激化、イエメン内戦の激化、と、どれをとっても紛争が顕在化すれば一夜にして中東全土に飛び火して、予想を超える危機が訪れることが予想されるのです。
中東の平和の危機が我が国にとっても他人事でないことは明白です。
湾岸戦争が勃発してホルムズ海峡が閉鎖されることにでもなれば、一瞬のうちに日本は崩壊するからです。
「そう大騒ぎをしなくても大丈夫だ、日本には180日分の石油備蓄があるのだから」という政治家がいます。
国賊でございます。
ホルムズ海峡が閉鎖される事態となった時に起こる「国家存亡の危機」に際しての想像力を持ちえないで、何故に国政をあずかる国会議員をやれてきたものか、愚か者め、でございます。
ホルムズ海峡からは我が国が必要とする石油、天然ガスの8割が輸送されています。
もしそのホルムズ海峡が閉鎖されたら、どういうことが日本に起きるか、を予測するには1973年の石油危機の時の日本を見れば明らかです。
あの時は日本へ供給されていた石油は実際は削減されることはありませんでした。
にもかかわらず、日本では洗剤などの石油化学製品、トイレットペーパーの買い占めの騒動が起きたのです。
群集心理が巻き起こした、「我も我も、我先に」のパニックでした。
早朝から主婦たちが近所のスーパーに押し寄せ、我先にとトイレットペーパーを買い漁ったのです。
幼な児を背中にオンブした若いお母さんが、熟女のオバさまとトイレットペーパーを奪い合い、取っ組み合いする姿が連日テレビのニュースで放送されました。
それぞれの家族を思う心が駆り立てた行動であったとしても、そのあさましい姿を見て愕然とさせられたのです。
人間とは何と悍ましいのだ、と鳥肌が立ちました。
石油危機は一歩間違えば、可愛いママや淑女のオバさまを「餓鬼」に変えてしまうのでした。
このことの反省から当時の田中角栄内閣は、原子力発電所建設へと大きくエネルギー政策を転換したのです。
今日の原子力発電所の存在を是とするか非とするかの分水嶺は、あの1973年の石油危機の時に全国を襲った「パニック」を経験したか否かにあるように考えます。
もう二度と、全国民が、他人を蹴落としてでも我先にと物を奪い合うような阿修羅の姿を見たくない、との思いが手前どもの「原子力容認」の意識の根底にあります。
戦後焼け跡から立ち上がった先輩たちは、再びこの愚かな戦争を引き起こすことのないように、戦争の無残さを語り継ぐことの使命を背負っていました。
戦争直後に生まれた団塊の世代は、食うや食わずの極貧の日々を生きた記憶を忘れずにいますが、空襲で多くの人たちが焼死し、着の身着のままで焼け出されるという地獄絵の経験はありません。
戦争の悲惨さを訴えるには経験不足です。
しかし1973年の石油危機の時は25歳の立派な成人に達していました。あの時に経験した身の凍るような「悍ましさ」を二度とみることがないように、我が国にとってのエネルギーの自給自足の唯一の方法である「原子力発電の重要性」を訴えていかなければならないと考えるのです。
あの時に経験した苦い経験から何も学ばなかったかのように日本のエネルギーのセーフティーネットである原子力発電を否定する風潮にいたたまれない思いを禁じ得ないのです。
先輩たちが伝えたのは「戦争の愚かさ」であるならば団塊の世代は「原子力エネルギーを喪失する愚かさ」でございます。
前述したように、「もしホルムズ海峡が閉鎖されても180日分の石油備蓄があるから慌てることはない」との論理を振りかざす政治家がいることは誠にもって情けないことです。
こうした誤った論理に立脚している人たちは、もし人間が余命180日を宣告されたとしたらどういう行動をとるかについての想像力が欠如しています。
ホルムズ海峡の閉鎖は「余命180日の宣告」と同じことです…