「成宮さまへ一言 / 何故、テイネイな言葉を話すようになったか、の秘話」

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成宮寛貴さまが引退をなされました。

理由は、自分のセクシャリティを友人に暴露されたことに傷ついたから、と述べられております。

成宮さまにホモの性癖があることは、これまで実話誌などにさんざん書かれてまいっております。

何を今更、と感じたのは手前どもだけではないはずでございます。

社会は個人のセクシャリティに寛容でございます。

マツコ・デラックスさまやIKKOさま、その他沢山の芸能人が自分のセクシャリティを明らかにされて活躍なされている姿を見れば容易に分かります。

成宮さまにそうした性癖があるからといって、引退しなければならない理由が分かりません。

巷では、フライデーに暴かれて、コカイン吸引の中毒とも言えるほどの行状が、これから先もメディアに暴かれるのを恐れて敵前逃亡したのだ、と言われています。

セクシャリティ云々はコカイン疑惑を誤魔化すための目眩しだというワケです。

なんとも不可解な引退劇でございます。

ご本人は海外で新たな一歩を踏み出されるとの噂でございますが、出来得ることなら日本にとどまり、そのセクシャリティを武器に次なる挑戦を期待したいものでございます。

手前どものAV業界に参入なされて、監督兼主演男優としてご活躍されたら、これまでにないア〇ルゲイ(芸)の高みをご披露することができるのでは、と惜しまれるのでございます。

 

 

綾小路きみまろさま(66)が世に出られたのは今から14年前の2002年の時でした。

キャバレーや森進一さま、伍代夏子さまの歌謡ショーの司会を経て、苦節30年、ようやく咲いた遅咲きの花でございます。

きみまろさまが司会を志されたのは、ロッテ提供の「歌のアルバム」の司会で「1週間のご無沙汰でございました」で一世を風靡した玉置宏さまに憧れたのがはじまりでした。

生まれ故郷の鹿児島から上京し、華やかなテレビでの司会の仕事を目指しましたが、そうしたチャンスを掴むことができず、キャバレーでの司会の仕事での悶々とした日々を過ごしました。

40数年前、東京には沢山のキャバレーがありました。

お店は、ステージに向かって段々畑のように客席が後方に少しずつ広がってつくられていました。

客席が500席という大箱も珍しくない時代です。

8時と10時の2回、30分の歌謡ショーがステージ上で生バンドをバックに繰り広げられるのでございますが、お客はお目当てのホステスを口説くのに一生懸命で、誰もステージで歌う歌手などには興味を示しません。

ましてや司会者など、どうでもいいのでございました。

酔った客の中には「ウルサイ!」と罵声を浴びせてくる者もいました。

そうした逆風の中で数百人のヨッパライを相手にきみまろさまは「話芸」を磨きました。

たとえばこんな話を披露したのです。

「本日はご来店くださいまして、誠にありがとうございます。日本経済を担う資本家の皆さま、ホステスさんは間違っても資本家の皆さまに失礼のないようにおもてなしをお願いいたします。当キャバレーではお客さまに閉店後のデートを誘われても、”今夜は実家から母親が来ているの”といった見え透いた嘘をつくホステスさんは一人もおりません。

また、他のお客さまの席から戻ってきても、”よかったわ、あの席のお客、嫌なのよ、あなたの席に来られて本当によかった”とこれまた見え透いた嘘をつくホステスさんは一人もおりません。もしいたとしたら、それはモグリのホステスです。この店の隣にある〇〇〇のキャバレーから送りこまれた回し者でございます」

といった具合の漫談を繰り広げたのでございます。

あまりにも露骨な例えに「客の機嫌が悪くなった」とクレームをつけてくるホステスさまもおりましたが、多くのお客さまには大ウケで、いつかきみまろさまがステージに立つと、客席の客はこぞって注視するといった風に人気者になっていきました。

当時、きみまろさまが司会を務めているキャバレーにゲスト出演した経験のある片岡鶴太郎さまは、印象を次のように語っています。

「最初の挨拶は、”司会をさせていただく綾小路きみまろです”と簡単なものでした。”私が鶴太郎さんのモノマネをご紹介する前に少しお話をして盛り上げさせていただきます”と言って前説に立たれたのですが、”少し”どころの騒ぎではありませんでした。

5分どころか10分、20分と過ぎても一人漫談が終わりません。客席はドカーンドカーンと大盛り上がりです。次の出番を控えている私にとっては最低の司会者でした」と、きみまろさまの往時の人気の凄さを振り返る鶴太郎さまでございます。

キャバレーの世界では人気者として、その評価を確かなものにしたきみまろさまですが、その志は玉置宏さまのように華やかなテレビの世界で活躍することでした。

芸能の世界に一歩でも近づきたいと、請われるままに森進一さまの歌謡ショーの司会を10年、伍代夏子さまの司会を4年、と続けました。

ステージでは相変わらずの人気を博しましたが、きみまろさまは満足することはありませんでした。

俺の話芸はこんなもんじゃない、必ず日本中でウケることができる、との揺るぎない信念と自信がありました。

しかし、当然、不安もありました。ひょっとしたらこのまま泣かず飛ばずで、「人気歌手の歌謡ショーの司会」で終わってしまうかもしれない、と焦る心も過ぎりました。

年齢はいつか、既に50歳を数えていました。

こうなったら倒れるまでやるしかないと腹を括りました。

ただ座して死を待つつもりはありませんでした。打って出ようと考えたのです。

これまでステージで見せてきた話芸をカセットテープに録音しました。

そのカセットテープを自分の家でコピーして、高速道路のサービスエリアに停まっている観光バスの運転手やバスガイドに「暇な時間があったらバスの中で流してもらえませんか」と無料で配って歩きました。

100本、200本、と根気強く、暇さえあれば高速道路のサービスエリアに行ってテープを配り続けたのです。

「面白いテープがある」と噂を聞きつけたきみまろさまの家にテープの注文をしてくるお客さまが増えてきました。

口コミで、ユニークな漫談師がいる、との評判が広まっていったのです。

最初の頃は1日5本から、多くて10本の注文でした。

それがいつからか、全国からの注文へと広がり、50本60本、となり100本の大台を超えるようになりました。

これならいける、との手応えを感じるようになった頃、レコード会社からCDとテープの発売の話が舞い込み、本も発売されるまでになったのです。

「きみまろブーム」を後押ししたのは、なんといっても観光バスに無料で配り続けたカセットテープです。

ニューヨークで、2001年9月11日のあの旅客機のビル衝突事件が起きてから、海外旅行のブームが下火となり、代わりに国内旅行のブームを牽引したのは観光バスでした。

その観光バスで流されるきみまろさまの漫談が、人気に火をつけたのです。

苦節30年、52歳にしてようやく陽のあたる道に一歩踏み出すことができたきみまろさまでしたが、それからの一瀉千里の活躍はご案内の通りでございます。

よく、きみまろさまと監督の語り口が似ているね、といわれます。

齢の具合も…

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