中村橋之助さま(51)、京都の30代半ばの芸妓「市さよ」さまとの不倫が週刊文春で報道されました。
橋之助さまは釈明記者会見に臨んで、「私の不徳の致すところでございます」を連発して「不徳の致すところ」日本新記録を見事、樹立されております。
橋之助さまの奥方の三田寛子さまはご自身でも記者の前に現れて、亭主の浮気騒動を「私にも至らないところがございました」と詫びて、鮮やかに梨園の糟糠の妻ぶりをご披露されたのでございます。
また、三田寛子さまは「私の家には芸の肥やしはありません」とキッパリ否定されました。
が、果たして歌舞伎役者に「芸の肥やし」は不必要でございましょうか。
他人さまの前で恋だの愛だのの人間模様の様を演じる歌舞伎役者は、いつもその内面に燃えたぎるモノ、を秘匿しておくことが必要です。
そうした「燃えたぎるモノ」が「艶(つや)」となって醸し出され、人を魅了するのです。
いかに糟糠の妻、とはいえ妻だけの25年の一穴主義ではそうした「艶」を醸し出すことは不可能でございます。
いつも誰かと恋をしている、その秘められた熱情があってこそ、実際の芝居にもそれが「艶やかさ」として表出されるのです。
心が枯れて、好きも嫌いも超越したごとくの石になっていては、愛し愛される登場人物の情熱を演じることなどかなわぬことです。
お客は、店主がスケベで嘘つきで鼻持ちならない野郎でも、ウマい料理を出してくれる店を選びます。
真面目で正直で謙虚だけれど、料理はインスタント食品より劣る下手な料理店は選ばないのです。
古典芸能たりとて、然り、でございます。
私人として屁もひらず、のどれだけ高潔な人物であっても、芝居が大根役者であるならば話になりません。
芸人は面白く、感動させてくれればその私生活での「倫理」はどうでもいいことです。
芸人が最も大切にしなければならないのは、演じるお客さまの前でのコンディションでございます。
そうした「秘めた恋」故にベストコンディションであることができるのなら、断罪されるいわれはありません。
人間のあらゆる業を演じる役者に、公務員のような「真面目一色」の資質を求めることはナンセンスです。
AV男優や女優にとっての「芸の肥やし」はあるでしょうか。
ほとんどの場合、手前どもは三田寛子さまと同じく「私の家には芸の肥やしはありません」、とお答え申し上げるのでございます。
来るべき一発芸をご披露する時にそなえて、プライベートでは節制し、規則正しい生活が求められています。
いざ顔射の時にあって、「薄味」ではお役御免になるからでございます。
常識を振りかざして、芸人に当たり前を求めすぎては、日常とは全くかけ離れた破天荒な芸を味わう醍醐味を失うことになります、どころか、芸人の皆さまには「芸の肥やし」を怠りなく、お客さま第一でその身をなげうっていただきたいのです。
かつてピンク映画の総本山に大蔵映画という映画会社がありました。
主演女優はよりどりみどりの色好みの美女たちでございました。
あるマスコミが、「主演女優たちは全員社長の大蔵さまの愛人では」とご本人にインタビューをしました。
大蔵社長はインタビューに答えて「私はかつて自分のところの女優に一度でも手をつけたことはない。自分の女を女優にしたことはあるが」と申されたのでございます。
全てはお客さまに還元される色恋であれば、許されて然るべき、なのが大衆芸能、でございます。
2番じゃどうしてダメなんですか、と言ったのは蓮舫さま。
今日においては嘘つき口先女、の日本代表の座を民進党代表の座とともに確かなものにされています。
2番じゃどうしてダメなんですか、と言っていながら今や野党第一党の民進党の2番じゃなくて、1番。
そして、「我が国の1番」の首相を目指しておられるのでございます。
2重国籍問題はもとより、どうして2番より1番をお選びになられたのか、機会があればジックリ賜りたいものでございます。
リオパラリンピックが閉幕いたしました。
ハンデをものともせずに、1番を競い合ったアスリートの皆さまに、感動をありがとう、でございます。
肉体の頑張りには限界があっても、人間の精神には限界がないことを学ぶことができました。
参加選手のそれぞれが、勝ち負けは別として、誇りと笑いに満ちていたのが実に印象的でございました。
彼ら障がい者の戦う、どんな場面を見ても、比べて自らの不本意さに思い至り、情けない思いとなったこともしばしばでございました。
テレビの中継を一手に引き受けていたNHKのアナウンサーは「日本選手は実に目覚ましい活躍をしました」と感動の実況中継をなされておりました。
結果は銀メダル10個、銅メダル14個の合計24個のメダル獲得数でございます。
残念なことに、この度のリオパラリンピックでは金メダルはゼロに終わっております。
一方、中国は…