「相談にやって来たベッキーさまの男の「ゲスの極み」」

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圧倒された男がいます。

株式会社ダイヤモンドダイニング、松村厚久社長です。

彼は「1業態1店舗」を合言葉に全国に飲食店を展開し、現在は270店舗を経営しています。

将来は300業態1000店舗をめざしブライダルやホテルの経営にも戦略を練っています。

その彼は不治の病とされるパーキンソン病を患いました。

9年間そのことを社員にも対外的にも隠してきましたが、昨年東証一部上場を機に世間にも公表したのでした。

彼は日々進行するこの難病との闘いを続けています。

一人で歩くこともままならず、話すことさえままならない時もあります。

が、彼は「この病気になっているのは意味がある」と逃げることなく真っ向から挑み、決して白旗をあげることがありません。

彼は言います。社員の給料が思った以上に上げられないのは自分がこうした病気にかかってしまったからだ、残念で仕方がない、と涙を拭うのです。

この病気になって一番辛いところは、の問いにも「自分の能力がないことが歯がゆくてなりません」と全てを自分で背負い込んでいます。

そして絶望を感じたことはありませんか、の問いには「毎日その葛藤と闘っています。もう駄目かも知れない、との思いと、こんなもんじゃないぞ、との思いの」

彼は言葉では満足に口を開くことができず、伝わらないと、これらを辛うじて動く指先でパソコンのキーボードを叩きながら話をされたのでした。

この映像をテレビで観ました。気が付けば正座をして観ていました。衝撃でした。

これほど視聴者の心を揺さぶる映像は近年稀に見るものではないでしょうか、まさしくテレビの力を見せつけられた日曜日の夜でした。

行弘進さま。映画「スターウォーズ」のCGを手がける日本人アーティストとしてハリウッドではその実力を高く評価されている第一人者です。

彼がCGに最初に興味を持ったのはスティーブン・スピルバーグ監督の「E・T」を観た時でした。

大人になったらあんな夢のある映画の世界に自分も携わりたい、とCGの世界で活躍する夢を膨らませたのです。

夢を実現するために、高校を卒業するとすぐ米国に行きました。

ハリウッドにある映画製作会社の門を叩いて、CG制作スタッフとして雇ってもらえないか、と頼みました。

が、何のコネもなく実績もない、まだ高校を出たばかりで満足に英語も話すことのできない彼を雇う所などどこにもありませんでした。

それでも来る日も来る日もめげずに会社訪問をして、「採用してください」と熱く語りました。が、駄目でした。

斯くなる上は仕方がない、と彼は一計を案じました。訪問先の面接担当者に「1日20ドル払いますから僕を雇ってください」と談判したのです。

雇う方ではなく、雇われる方が賃金を払う、などとはこれまで聞いたことがない話です。

担当者は面食らいながらも「面白い奴だ」と彼を臨時雇用してくれたのです。

臨時雇用といっても「CGの技術者」としてではありません。雑用係としての仕事でした。

が、勉強熱心な彼は雑用係の仕事をこなしながらCGの仕事に就くことを決して諦めませんでした。

時間があればCGスタッフの作業デスクに行って見よう見まねでCG制作のノウハウを盗み、学びました。

家では夜遅くまで専門書を読み漁り、最新の知識を蓄積していったのです。

そうして徐々にCGの知識とセンスを磨いて、2年後、その技術が認められ、ハリウッド映画のCG会社に正式に社員として認められ、CG制作のスタッフとして働けるようになりました。

ここから彼の怒涛の快進撃がはじまり、ハリウッドのCGの世界ではこの人あり、といわれるまでに評価を得るようになりました。

彼のポリシーは、CGの力で観客を映像の物語の世界にどれほど引き込めるか、です。

そのリアリティを求めて、これでもか、これでもか、とやり続け、更にやり直す、という完成度を目指しています。

日々学ばなければならないことが沢山ある、と語る彼は、次はどんなCGで新たな物語を見せてくれるのでありましょうか。

あの「1日20ドル払うから私を雇ってください」の執念が人生の岐路となったのでした。

おかっぱ頭のカッパの次男坊のような青年がやって来ました。

「私は川谷絵音といいます」と青年は自分の名前を名乗りました。

どこかで聞いたような名前と見たことのあるような顔です。

「あなた、どこかで見たことがあるような気がしますが、どこででしたでしょうか」と尋ねますと、

青年は顔をポッと赤く染めて「ベッキーさんとのことで話題になった男です」と答えられたのです。

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