日本の政治の最後の砦・杉田水脈さま

被団協がノーベル平和賞に輝きました。中露や北朝鮮が核の脅威で世界の緊張を高めている中、大変意義のある受賞ではなかったかと考えてございます。

 
であればこそ、我が国は核抑止に対する備えを進めなければならないのです。
 
1945年8月、広島と長崎に人類史上初の原爆が投下されました。
 
大東亜戦争での戦局は日本の敗戦は決定的で、あのような無差別殺人という国際戦争法に違反する暴挙をする必要がなかったのに、米国は「一日も早い戦争終結」を口実に、原爆を広島、長崎に投下したのでございます。
 
何故か。当時米国大統領の座に、病のルーズベルト大統領の後を引継ぎ就任したのはトルーマン大統領でした。
 
しかしながら国内での人気はルーズベルトと比べて低く、トルーマンは人気を勝ち取るために画期的な施策を講じる必要があったのです。
 
そこで取ったのが、オッペンハイマーによって開発された原爆を日本に投下するという方法でした。
 
このことで米国の勝利は決定的になるのは勿論のこと、第二次大戦後に予想されるソ連との覇権争いを優位に導くとの考えであったのでございます。
 
結果、広島、長崎ではあわせて20万人近くの「非戦闘員」である老人や女性や子供たちの命が一瞬のうちに奪われるという、人類史上稀に見る大殺戮が「戦争早期終結」の美名のもとに行われたのでございました。
 
そして今日では、米国、ロシア、中国、北朝鮮といった国のみならず、中東のイスラエル、インド、パキスタン、欧州の英国、フランスが核保有国として名乗りを上げているのでございます。
 
我が国は敗戦国という立場で戦後、米国の核の傘の下で生きることを選択しました。
 
否、選択というより、米国は先の大東亜戦争で日本に核を落としたことから、心の底では日本の復讐に怯え、日本だけにはなんとしても核を持たせない、との方針を確固たるものとしたのでございます。
 
戦後戦犯から衆議院議員となり、首相の座に就いた岸信介はCIAのエージェントでありました。
 
岸信介はCIAから当時の金額で数百億円の支援を受けて総理の座に就き、米国に命じられるままに日本安保条約を命がけで成立させたのでございます。
 
何故命がけだったのかといえば、CIAの資金で政治活動を行い日本政治の頂点に立った身では、裏切ることは許されなかったのです。
 
「日本は自主防衛などと余計なことは考えずに、アメリカさまのバター犬となりひたすら何でも言うことを聞いていればそれでいいのだ」との妾根性です。
 
この「アメリカさまにずっと守ってもらえばいい」との考えは、今日においても日本の政治家の思考の底流に流れています。
 
が、実際はどうでしょうか。もし万が一日本が中国やロシアから核攻撃を受けるような事態となった時、本当にアメリカさまは日本の代わりに中国やロシアと戦ってくれるのでしょうか。
 
答えは….

 

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「村西とおるのナイスな多事争論」

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