「マサカリ投法」で知られる村田兆治さまがお亡くなりになられました。
死因は成城にある豪邸の自室での一酸化炭素中毒死と伝えられております。
つい先だって、いささか派手目な空港の保安検査員の女子との間でモメ事を演じられ、逮捕という憂き目にあったばかりでしたので「なんでまた」とよからぬ憶測を呼んだのでございます。
この度の騒動を悔やんで自死したのではないか、という観測でございます。
ご本人が逝かれた今となっては真相は永久に藪の中でございます。女房ドノがおられていたならばと惜しまれるのですが、とっくの前に離婚し、元奥方は只今は施設での生活との噂でございますので、なんとも気の毒さが募るのでございます。
享年72歳でございます。手前どもより2歳年下の、いわば若輩者でございます。なにがあっても、人生100年の時代、まだまだやり残したことは山ほどあったでありましょうに、どうして逝ったのかと残念に思われてなりません。
まだまだやれた、のでございます。いくらでも、です。ましてやプロ野球選手として一世風靡した勇者ではありませんか。何があっても諦めることなくもがいてもがいて生きて、諦めさえしなければ、きっと今日より素晴らしい明日が来ることを、ファンの皆さまに知らしめる役割を担っていたのに、なんという早漏なのだとハリ倒してやりたい気持ちを堪えることができません。
全ての人に、この世に生まれてきて、やらなければならない使命があります。その最たるものは、天に与えられし最後の命まで生き切ることです。
村田さまは「やればやっただけ必ず結果が出る」というワケにはいかない、不安だらけのプロスポーツの世界で、長らく勝負をしてきました。
そうした状況を生きてきた人間でなければ授からない「知恵」と「経験」をお持ちでした。
そうした「経験」というかけがえのない財産を、これからの日本を担う若い世代にバトンタッチする年長者として、選ばれし野球界のスターとしての責任がございました。
明日のプロ野球選手を目指す若者たちに、その存在自体がどれほど力になったか知れません。経験で得た知恵は、その界隈の皆の財産とすることができるのです。村田さま自身もそうした教えの中の環境で育てられ、ひとつの時代を築く人物となれたのでございます。
絶好調の時だけではなく、不遇な時でも決して投げ出すことなく、信じた道を歩くことの素晴らしさは、先週55歳ながらゴールを決めた三浦カズ選手に見られる通りです。
高校女子バレーの下北沢女子高の著名な監督は、来春で67歳となり、40数年余の監督生活に別れを告げます。「どうしてこれほど長い間監督をやってこられたのか?」との問いに「選手が懸命になって汗を流して練習をしている姿を見るのが至福の時間でした」と語られました。
海のモノとの山のモノともわからずとも、たとえ未熟であっても、目先の損得を考えず自分の可能性を信じて努力を惜しまず、歯を食いしばり、汗まみれになって苦しみに耐えている姿に、人間の崇高さを見て、アッという間の40数年だったというのです。
世の成功者の誰でもが、一直線に人も羨む大成功を手にした訳ではありません。かの孫正義さまだって、ブロードバンド普及の件で総務省と揉めた時には「もし自分の意見が聞き入れられなければ灯油をかぶって逝く」とまでの脅しを口にして生き残ってきています。
まさか「自殺してやる」などと、夫婦喧嘩の片割れが口にするようなことを、日本一の金持ちの成功者と称えられる人物が口にして吠えたとは俄かに信じられないことですが、世に出て成功者となるためには、世間体など気にしていては、座して死を待つこととなるのです。ガムシャラだけの一本道が成功の唯一の道なのでございます。
そして、成功者として人生をまっとうした後の自分の身じまいに相応しいのは、どんな選択があるのでしょうか。
答えの一つに、先頃マイクロソフトの創業者の一人、故・アレン氏の秘蔵の絵画がオークションにかけられ、約2100億円で落札されたことが話題になりました。驚かされるのは、その全額を故人の遺言によりボランティア団体に寄附されたことでございます。
考えてみればあの世にティッシュ一枚持っていけない身であれば、そうした人の役に立つことは容易のように考えるのですが、言うは易く行うは難しでなかなか凡俗には実行できることではありません。
たとえ本人がそう考えたとしても、周囲が許さない、あさましさが人間社会の現実でございます。
が、ここのところが世界で何番目かの金持ちとなる人物の界隈の違うところです。
遺族は故人の遺志を尊重し「死して名を残す」ことに諸手をあげて賛成なさったのです。
パートナーだったビル・ゲイツも同じように、自身の子供たちには数億程度の生前贈与しか行わず、残った資産の数十兆円の全額は自ら立ち上げたボランティア活動機関に全て委ねています。
人間は死しても尚、できるだけ多くの人に自分が生きたことを記憶に残していて欲しい、と願うものですが、大概の人は20年後はせいぜい5人、50年も経てば余程の歴史的英雄偉人でもなければ、その生きた証を記憶にとどめておくことはないのでございます。
しかし、ただ一つあるとすれば、自分の名を冠して「教育育英資金」を設け、次の世代への橋渡し、応援に力を貸すことでございましょう。
さすれば毎年、その恩恵にあずかる若い世代が続き、100年を越えても報恩の心で崇められることになるのでございます。
「世のため人のため」は究極はブーメランとなって自分のためとなる、とのわかりやすい人生の方程式でございます。
村田兆治さまが生前、小中学生の野球少年を対象に「野球教室」を開いて指導にあたっていたことを知っています。
願わくば教えを乞うた野球少年たちが、村田さまのあの教える際に見せていた厳しくも、鬼ガワラ顔の裏で見せていた優しい笑顔を、生涯消えることなく心に刻んで想い出にしていただければと祈るのみでございます。
かえすがえすも残念なことは、村田さまの貴重な経験を明日の日本を担う若者たちのために使うことをまっとうできなかったことです。合掌。
またぞろ性悪テレビメディアは、新型コロナで得たウマ味を忘れられず「近いうちに8波が」と恐怖を煽っております。
手前どもの知り合いのお坊さまが言っておりました、「コロナ禍で…
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