「BTS活動休止の核心」

 

ジャン=ルイ・トランティニャンといえば、仏の誇る名優として知られている存在でしたが、6月17日、仏南部の郊外の自宅で死去したことが伝えられました。
 
享年91歳、手前どもがまだ幼き頃はアメリカ映画と並んでフランス映画が人気で、毎年何本もの作品が公開されていたのでしたが、ジャン=ルイ氏の代表作といわれる映画「男と女」(66年)は今でも鮮やかに胸に刻まれています。
 
まだ若造だった手前どもが初めて「大人の男と女の性愛」に魅せられた作品でした。
 
主人公のジャン=ルイが車を駆って愛するアヌーク・エーメに会いに行くシーンのワクワク感は、まさしく「男と女」のエロティシズムを描いて紛れもない逸品の佳作のみがもたらしてくれた興奮と陶酔であったように思います。
 
ジャン=ルイ氏は共演したブリジット・バルドーとの実生活での熱愛で知られるフランスの映画俳優きっての艶福家でしたが、カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞するほどの「演技派」でもあったのです。
 
死因は家族によれば「老いのために静かに亡くなった」、老衰とのことですが、男のエロスを体現して演じることができる名優の死が惜しまれます。
 
ジャン=ルイ氏の死を報じる仏のメディアが繰り返した映像があります。
 
その中には、出世作となったロジェ・バディ監督の愛人となったブリジッド・バルドーとの共演の作品「素直な悪女」のシーンや、世界的に注目を集めたクロード・ルルーシュ監督の「男と女」の名シーン、そして、ジャン=ルイ氏が夫に殺されて死んだ最愛の娘の葬儀でのスピーチシーンがありました。
 
ジャン=ルイ氏は娘の棺の前でマイクの前に立ち、居並ぶ多くの弔問客を前に涙ながらに「失ったことを嘆くな、出会ったことを喜べ」と言いながら泣き崩れたのです。
 
その姿にジャン=ルイ氏がどれほど娘を愛していたかが伝わり、同じ子供を持つ親の身ではもらい涙を禁じ得ませんでした。
 
ジャン=ルイ氏はその後、公に姿を見せることはめっきり少なくなりましたが、少しずつ心を取り戻すことができて、2012年の映画「愛、アムール」に主演するなど、近年まで活躍を続けられていたのです。
 
手前どものような「男と女」の映画で「男と女のエロティシズム」を学んだ世代にとって、ジャン=ルイ氏の死は衝撃的でしたが、その死と同時に報じられた娘の葬儀で泣き崩れたシーンにも実に心を打たれたのです。
 
特に氏がその時に発した「失ったことを嘆くな、出会ったことを喜べ」の言葉に胸を打たれたのです。
 
私たちはえてして歌の文句じゃないけれど「僅かばかりの運の悪さを恨んだりする」寂しくも悲しい存在ですが、考えてみればそうした経験を経て成長し、喜びの人生を歩んでいる幸福者なのでございます。
 
だから、ジャン=ルイ氏の言うように「失ったことを嘆いて」いては勿体ないということです。この世に生を受けたことに感謝し、様々な感動的な出会いがあったことを喜ぶべきなのでございます。
 
齢を重ねてまいりますと、老い先短いことを痛感し、まだまだこの世での人生に別れを告げたくないとの妄執に駆られるものですが、そうした「妄執」はバランスを著しく欠いた考えというものでしょう。
 
この世に裸で生まれ出て、五体に恵まれ成長し、素晴らしい人たちとの出会いや美しい風景や文化や貴重な体験を重ねてきました。美味しいものも沢山食べてきました。
 
世界や日本の名所旧跡と言われる場所にも訪ね歩くことができたのです。
 
京山幸枝若の浪曲に涙し、ちあきなおみの歌に酔いしれ、大谷選手の活躍に胸躍らせることができました。
 
今日、現代人は江戸時代の人間が10年で獲得する情報量を僅か数時間で得ることができていると言われています。
 
いわば私たちの祖先が一生かかって得た知識や情報を、たったの半日で経験できる情報化時代に生きているのです。
 
これまで知ることができなかった宇宙の果てや、やがて来る宇宙の終わりの寿命まで知ることができるようになったのです。
 
大好きな女性の秘密基地なども、インターネットを開けば向こう数百年見続けても終わらないほどの、古今東西の膨大な数の美女を拝める時代に生きているのです。
 
世界の山海の珍味も、この日本にいながらにして味わうことができます。
 
ファッションや旅行やその他の趣味やスポーツのことごとくを体験し、楽しむ機会を獲得しているのです。
 
スマホをかざせば、地球の裏側の人間とTV電話を無料でできる時代が到来しているのです。
 
癌をはじめとして難病といわれた病気の克服も時間の問題とされ、人間は「死なない」人生百年の時代を指呼の間としています。
 
こうした人類の歴史上のどんな英雄豪傑、偉人天才でも味わうことができなかった栄耀栄華に包まれ、私たちは令和の今の時代を生きる幸福を手にしているのです。
 
いつも思うのですが、若き日に逝った、手前どもにも増してポルノ大好きだった友が、今のネットでいくらでも無修正映像を見ることができる状況を見たら、どれほど地団駄踏んで悔しがることだろうと考えるのです。
 
こうした満たされた時代に生まれ、生きたことは何よりの幸せでした。
 
このことを考えれば、寿命が尽きかけているにもかかわらず、まだ死にたくないとしがみつく妄執はなんと見苦しいことかと自分を諫めなければなりません…

 

 

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