「憲法違反のAV新法を粉砕しよう」

堀江謙一さまが83歳にして一人ぽっちで69日間で太平洋を横断する、という偉業を達成されました。

60年前に94日をかけて初めて成功したヨットでの太平洋横断の時は、後に石原裕次郎主演の映画にもなりましたが、今回はまたどんなドラマがあったのか、航海日記が明らかになれば是非とも読んでみたいと思っています。

堀江謙一さまの人柄を知る人は「やれるまで、何度でも挑戦する性格の人」だといいます。

手前どもより10歳年上の大先輩ですが、この「やれるまで、何度でも挑戦する」ことを肝に銘じ、「今が青春真っ只中だ」で「自分は大器晩成型」と宣う堀江さまを見習い、これからも奮励努力をしてまいりたく存じております。

手前どもも、前に堀江さんと同じように太平洋横断といかないまでにも、ハワイから日本にヨットで帰って来ることを計画したことがありました。

1987年、米国ハワイ連邦大法廷でただの資格外活動に過ぎない罪で370年の懲役を求刑されたのでしたが、このままこの異国の地で枯れ果てるなら、いっそヨットで逃げ出し、日本に戻ろう、と考えたのです。

ハワイ総領事館の警察庁から出向してきたアタッシェにそのことを相談すると「監督が自分の国である日本に戻ることを、日本人である誰もが反対しない」との回答をいただいたのです。

余程殺人犯といった凶悪事件の犯人でもなければ、たとえ米国がインターポールを使って国際指名手配をかけたとはいえ、それぞれの加盟国は自国民を保護することを第一義に優先するから、資格外活動の罪ぐらいでも強制送還されることがないから大丈夫、との意味でした。当時は胸やけするほどに金を持っていました。

それではとホノルルのヨットハーバーに行き、どんな船がいいだろうかと物色しました。日本までの航海可能な中古のヨットなら5000万円もあれば余裕で買えることがわかり、ならばと一層その気になったものです。

結果は、裁判の判決で、手前ども以外の15名の逮捕されていたスタッフは司法取引によって全員無罪となり、自身も当時のレートの日本円で2800万円の罰金を払うことで折り合いがついたために「太平洋一人ぽっち」の再現とはなりませんでした。

いざという時のためにヨットの操縦に詳しい知人の男をスタンバイさせていましたので、今にして思えば大冒険のチャンスを失った、と残念に思われるのです。

その後、知人の不動産会社社長が脱税で追われハワイに飛び、ホノルルの港からヨットで脱出したことがありました。

ヨットは真っすぐに日本に向かうことなく、南太平洋のタヒチやミクロネシアの島々を回って日本に帰港する予定でしたが、途中フィジーの沖で大嵐に遭い、ヨットは転覆し、2人のクルーと一緒に漂流していたところを漁船に救われ命拾いした、ということがありました。

不動産会社の社長は手前どもから「ハワイから日本にヨットで戻ることを考えたことがある」とのプランを聞き、「よし、万が一の時には自分もそのようにしよう」と計画を立てていたのです。

男は自分を助けてくれた命の恩人の現地の漁船の船長に「御礼に」と100万円の束を差し出したといいました。船の中には1億近い日本円の現金を積んでいたのですから、ポンと1000万円のブロックを渡しても罰は当たりますまいに、どこまでも銭に執着する男なのでした。

晩年は愛人となった秘書の女性に面倒を見てもらっておりましたが…

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