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またぞろ便所紙朝日が火のないところに煙を立てて大騒ぎをしています。
メディアで取り上げられている検事総長の定年延期問題でございます。法案は時期国会まで持ち越しになりましたが、「反日反政府、安倍総理大嫌い」が性懲りもなくモリカケ問題に続いて「大変だ」の大騒ぎを仕掛けたのでございます。
「大変だ」はコロナ禍ぐらいにしておけばいいものを、罰当たりの便所紙朝日は「死なばもろとも」と「司法が権力にからめとられる危機」と持ち前のなりふり構わぬ三百代言ぶりを発揮してございます。
影響された芸能人や著名人が応援のツイートをするに至って、火に油を注ぐような事態となったのでした。
コロナ禍に襲われ、職を失い住む家も失い、家族が飢えて路頭に迷う危機に怯えている中小零細企業者がゴマンといるご時世に、アッパレな浮世離れぶりでございます。
芸能人や著名人だから意見を言ってはならない、と申し上げているのではございません。もう少し浅学菲才なりにも少しはお勉強をして意見を述べたらどうだ、というのでございます。
世に出て多くのファンの皆さまに応援していただいてきた立場なら、今ここで声を大にして言わなければならないことは、「人の不幸は飯のタネ」と恐怖を煽って混乱に陥れている元凶のメディアへの苦言でございましょう。
しかしそうしたことには「滅多なことを言うもんじゃない」と、口をつぐんで知らんぷりを決め込んでいるのでございます。
自分や家族や仲間、応援してくれているファンの命がかかっている問題には黙して語らずなのに、いわばどうでもいい検事総長の定年問題に便所紙朝日の片棒を担いで口を開いているのはどういう料簡だというのでございます。
エンターテイメントの世界で活躍し、発言力のある有名人が今なすべきことは、便所紙朝日の尻馬に乗って「検事総長の定年問題にモノ申す」ことではありません。
メディアの犯罪の「コロナ禍」の中で苦しんでいる人たちに代わって、「42万人が死にます」、「20万人が死にます」、と脅し文句で世相を恐怖の底に沈ませた、感染学者という名の言論テロリストを糾弾することではないでしょうか。
高齢化社会を迎えた日本が、検察総長の定年の年齢を引き上げることは当然のことでございます。
それが何故、野党の騒ぐ「安倍総理が司法に介入する」となるのでしょうか。
頭悪すぎ、というよりも、このコロナ禍で性懲りもなくくだらないことにエネルギーを注ぐとは、人間が悪すぎでございます。
そもそも検事総長の任命権は、政権を担う内閣の専権事項でございます。
内閣は検事総長のみならず、検事正以上の任命権を持っています。そのことで三権分立下での検察の暴走をチェックする役割を果たしているのでございます。
またそれら任命した検事に問題があるときは、選挙で選ばれた国会議員が開く審査会でその適格性を判断される、という構図となっているのです。
99%の有罪率を誇る日本の検察ですが、その罪の有罪無罪を最終的に決めるのは裁判官であって検事ではありません。
その裁判官の最高位の最高裁判所の裁判官もこれまた内閣の総理が任命することになっています。
そしてその最高裁判所の裁判官に異議あるときは、国政選挙時に国民投票によってその可否を問う権利が選挙民に委ねられているのでございます。
こうした日本の司法制度を検証すれば、今回の検事総長の定年延長の問題が何故それほどまでに「政権の検察の人事への介入」だと問題視しなければならないのか、サッパリわかりません。
そもそも内閣には指揮権発動をして検事総長を指導する権利が与えられているのですから、何が「政治の司法介入」だというのでございます。
警察は「花火を上げる」と称して時々、それほどに容疑の無い著名人を逮捕して世間の晒しものにすることがあります。
それを有罪率99.9%を誇る検察がチェックし、警察の勇み足に目を光らせる立場を果たしています。
AV草創期に「本番路線」に突っ走った手前どもを、警察は連続3度にわたって逮捕しました。
逮捕容疑はいずれも未成年の女子をAV撮影したという容疑でした。
警察は、AV界の寵児としてもてはやされていた手前どもを潰せば、日本からAVを無くすことができると必死でした。
今から思えば、どこからそんな使命感が出てきたのかと不思議な気がしますが、あの時代の警察はエロを否定し、取り締まることがお国のためと本気で信じていたのです。
が、立て続けに3度も逮捕されたにもかかわらず、手前どもは長き懲役に行くことから免れました。
一回目の逮捕の時は「処分保留」で釈放されたのです。
「処分保留」の知らせを聞いて、捜査を担当していた警視庁本部のエリート刑事たちが「何故処分保留なのだ」といきり立ちました。
メディアにも連日大きく取り上げられ、いつもは日陰の陽の当らない存在だった「生活安全課」という地味な存在が手前どもを逮捕したことで一躍脚光を浴びたのに「処分保留」などとはどうにも納得のいくものではなかったのです。
担当のキャップは、手前どもが留置されている房にやって来て「村西、お前、検察にどんな手を使ったんだ」と凄んできました。
手前どもは担当検事の部屋の前の廊下に待たされましたが、中からは検事と担当キャップの激しくやり合う声が漏れてきました。
しかし検察の「処分保留」の決定は覆ることなく、即日のうちに手前どもは釈放されたのです。
手前どもを苦々しい表情で見ていたキャップ以下の捜査の刑事たちの顔が忘れられません。
検察にプライドがズタズタにされた負け犬のソレでした。
検察の処分保留の理由は「被害者となる未成年の女子が、自ら積極的にAV出演を希望し、姉の免許証や卒業アルバムを提示して容疑者(村西)を騙しました。身分確認を怠った責任は問われるが、起訴して罪を問うべきほどの案件ではない」というものでした。
まことにまっとうな判断でした。
盗人にも三分の理、といいますが、この時日本の検察は必ずしも警察の言う通りに何でも鵜呑みにして判断することはないのだ、との認識を持ったのです。
これまで都合6回、日本の検察のご厄介になりましたが、その都度その真摯な捜査の姿勢には舌を巻きつつ、感動させられました。
水も漏らさぬ、という形容がありますが、常に裁判を想定して、何があっても犯罪を立証できるようにとあらゆる角度から、いわば二重、三重にと捜査をすすめるのです。
少しの矛盾もミスも許されず、その緻密で丹念な仕事ぶりは、驚嘆以外の何ものでもありません。
後年、日本の検察の最高幹部にのぼり詰めた人物と親しく知遇を得る機会を持ちました。
その人物は手前どもに「検察は猥褻の定義は、時代によって変わりゆくもの、と考えている。殺人や泥棒のような犯罪と違い、その犯罪性は“絶対不変”のものではなく、時代によって違ってくると考えているんだよ」と話されたことがあります。
一見判例主義で頭の固い人間の集まりではないかと思っていましたが、その柔軟な考えに接し、「我が国のエロスの文明開化の時代もそう遠くはない」と感動したものです。
日本の検察に一度でも調べられたことがある人間であれば、その優秀さにたちまち白旗をあげるのです。
前科を重ねた身でございますが、検察は日本の誉れ、砦と考えるのでございます。
それと比べて米国の検察はいい加減なものでした。最終的には陪審員が有罪無罪を決めるという司法制度の違いもあったでしょうが、逮捕され起訴されるまでの取り調べは一回だけでした。
後の白黒は陪審員に決めてもらう、と投げ槍なものに受け止められました。
この度のことで元検事総長と称する人物が、「反対の記者会見」を行い、抗議文を検察に届けています。
マダラボケが進んで「検事総長人事に介入するのは検察の慣習に反する」と異を唱えておかれます。
何ということはない、検察王国の権力には、たとえ政府と言えども口を出させないぞ、という検察王国死守の守護神の登場となっております。
かつて尖閣での中国漁船船長の検察での釈放や、厚労省村木局長の検察によるデッチ上げ逮捕の時は異を唱えなかったのに、マダラボケとなって左翼の使い走りとなって無残な姿をさらしている有り様でございます。
この頃ではようやく「危機を煽るのは厳に慎むべき」と言い出したメディアでございますが…
この続きは「まぐまぐ!」でお読みください…