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「世界は我が国のコロナ対策の優秀さに目を見張っている。“K防疫”としてこれからはその優れた方法を世界に発信する」と高らかに謳いあげた韓国・文在寅大統領でしたが、そのお膝元のソウルで再び集団感染が発生しました。
場所はソウル市内のクラブで、従業員や客など80数人が感染したといいます。
このクラブには約7000人以上の従業員や客などが出入りしていて、そのうち1400名の行方がつかめないとのことです。
せっかく世界にさきがけて自粛解除をした韓国ですが、再びのコロナ禍に襲われる事態となっています。
丁世均首相は「今回の地域感染をこれ以上拡大させずにここで防げるかどうかが今後の防疫の成否を左右する」と語られています。
せっかくコロナを封じ込めたのに、との無念の思いが伝わってまいります。
が、この韓国の状態から私たちが学ばなければならないのは、二の舞にならぬよう、より自粛を徹底することではありません。「ウイルスはいかに頑張っても根絶することはできないのだ」という賢者の諦観でございます。
リスクゼロを目指しているうちに、それぞれの国が鎖国状態となり、気が付いたら経済は破綻し、文明社会は朽ち果てて、ギャートルズのような石器時代に戻っていた、といった具合にならぬよう戒めなければなりません。
戒めるとは、「ウイルスとの共存の生活を営んでいくこと」でございます。
まさしくそれは私たちがインフルエンザに1000万人が罹り1万人の犠牲者が出ようとも、過剰な自粛などを選択せずに豊かな経済生活を営んできたと同じように、この度の新型コロナウイルスも過度に恐れず淡々と受け入れていくという生き方でございます。
このまま自粛を続けていたら、コロナで亡くなられる何倍もの人たちが「貧困」故に命を落とすことになることに思い至らなければなりません。
人類がせっかく築き上げてきた豊かな文明社会を、コロナごときに凌辱されていいのかと、真剣に問わなければならないのです。
一瞬にして自画自賛のK防疫が崩壊したことを見れば、求められているのはリスクと共存する覚悟と、そうした社会でよりよく生きていく哲学です。
昨年の12月初旬、中国武漢で新型コロナの発生が一部のメディアに伝えられました。
あの時「また新しいインフルエンザがはじまったのか」と冷静に受け止めておけば、只今のような人類を揺るがすような大騒ぎにならなかったのです。
それを今年の1月に世界の反中国メディアが「またぞろ中国はSARSやMERSと同じように情報隠しをしている」と大袈裟に騒いだために、その騒動がみるみるうちに世界中に広まっていったのです。
騒動が終息した中国では「あれはただの風邪の一種にすぎなかった」との認知が広まり、人々は普通の生活に戻っています。
一部では自粛の反動で爆買いが見られている、との報道もございます。
経済は後遺症で長く低迷が続くと予想されていましたが、ここのところは目覚ましいV字回復を果たし、プラス成長に転じています。
私たちが学ぶべきはこの中国での回復ぶりです。
中国政府は遂に韓国からのビジネスマンを受け入れています。日本や諸外国にも訪中するようにと働きかけはじめています。
そうだ、中国の現状を見ればあれほどまでに恐れていたことは異常だったのだ、と覚醒すべきなのでございます。
が、我が国の欧米崇拝メディアは依然として「ヨーロッパでは、アメリカでは、NYでは、、、」とその被害の大きさを報じ、「自粛」こそ最善の道と突き進んでいます。
しかしながら、以前のような経済市民活動を取り戻した中国のみならず世界の各国は「ウイルスが完全になくなるまで待っていたら国が亡くなってしまう」と、ウイルスとの共存を選択し、自粛解除をはじめているのです。
ドイツのメルケル首相は一週間で10万人あたり50人の感染者が出なければ自粛解除を継続する、との方針を明らかにしました。
我が国の東京の人口は1400万人です。この計算でいくと一週間で7000人までの感染者は許容できるということになります。
二言目には「欧米では、、」が大好きな小池さまは、率先垂範なさって「一週間に7000人」を取り入れられればよろしいのに、「一日100人以下の感染者」の数字となっても「まだまだ油断してはなりません」と得意顔なのでございます。
大企業のサラリーマンや公務員、年金生活者は別として、一般の市民にとってのこれまでの自粛は「命取りになりかねない」危機でございます。
崖からぶらさがっている一本の細いロープにしがみついている中小零細企業の労働者に「もう少しの頑張りです」とよくも言えた神経だと呆れるのでございます。
民草はこれから先の人生を、果たして自分は無事に生きていけるのだろうかと心震えています。
なんとかこのまま頑張っていれば、必ず明るい未来が開けてくるのだとの希望があればまだしも、どこにもその灯りが見えないのです。
頼りの為政者は総収入の5%を「自粛」して「私たちも自粛しています」と張り倒したくなるようなコトを平気でヌカしている始末です。
そもそも日本のコロナ禍の現状を考えれば、緊急事態宣言やそれに伴う自粛など無用なことでございました。
これまでのように日本人の優れた衛生環境を保持し、手洗い、うがいを励行する日常を行っていれば、特別に自粛などは必要なかったのです。
それを何でも欧米に見習うことが善と思い込んでいるメディアや政治家が、今こそ真の「ジャパンクオリティ」を発信する好機でありましたのに、右に倣えで緊急事態宣言を行い、自粛に走ったのでございます。
「欧米なんぞ、なんぼのもんじゃい」の気概が足りなさすぎです。
手前どものように、一度米国連邦大法廷でアメリカさまを相手に勝負してみると、敵はいかにならず者かが骨身に染みてわかるというものでございますが、残念なことに日本の政治家やメディアの人間には米国での前科が足りません。
特に情けないのは都道府県の県長でございます。
我先にと政府に緊急事態宣言を願い出る体たらくぶりでございました。
日頃は偉そうに「地方自治」などと嘯いているのですから、このときにこそ「自粛で経済を壊してしまったら、コロナ以上の多くの犠牲者を出すことになるから自粛には反対です」と反旗を翻す胆力も先見性も決定的に不足しています。
ただお上の仰る通りと、それどころか大衆に阿り、無自覚に「自粛」を言い出すありさまなのでした。
いざ鎌倉、というときに、命を賭してまっとうな意見を言う県長が誰一人もいない体たらくぶりで、何が「これからは地方自治時代だ」でございます。
特に理解できないのは緊急事態をいいことに、いまだに学校閉鎖を続けようとする県長がいることです。
かえって自宅にいる機会が増えたことで、親から子供へ感染する事例が多く報告されているのです。
いたずらに学校閉鎖を続けることでの子供の心身にかかる負担と、勉強の機会が奪われることでの喪失からくるマイナスを計算すれば、これ以上の学校閉鎖は「児童虐待」にも等しいと言わざるをえません。
県長は、自分の評判を気にする前に、国の宝の子供たちを命がけで可愛がって欲しいのです。
子供たちにコロナでの死亡者が一人もいないことを見れば、過剰なまでの学校閉鎖は、百害あって一利なしの愚考です。
今回のコロナ禍で、私たちはウイルスより恐ろしいものがこの世にあることを学びました。
人の不幸は飯のタネ、としている…
この続きは「まぐまぐ!」でお読みください…