床屋が苦手でした。 苦手というより、床屋の鏡の前に座って、頭にハサミを入れられる時間が耐えられないのです。
何故って、自分のブ男な顔と否応なく対面せざるを得ないからです。
自分の顔に対する嫌悪感が、齢を数えるとともに強くなってきたような気がします。
若い時分は、大それたことを言うようですが、もっと自分の顔に自信がありました。
信じていただけないかもしれませんが、よく「石原裕次郎の若い頃にソックリだね」と言われていました。
高校時代に、そう言ってくれたのは、町内会のオバさんでした。
今でもそのオバさんのことを憶えています。
何故ならこれまで生きてきて、自分の顔のこと褒めてくれた唯一の女性だからです。
その言葉のおかげで顔に劣等感を持っていた心が、どれほど救われたか知れません。
社会に出て自分の顔がどの程度のレベルのものであるかを思い知らされました。
高校を卒業して新聞広告を見て最初に就いたのはバーテンダーの仕事でした。
池袋のその店は、当時流行の「洋酒バー」として都内でも知られたお店でした。
地下3階まであるその店には同僚のバーテンダーが20人ほどいました。
バーテンダーと言っても、やっていることはもっぱら現在のホストのような「女性客相手に男を売る」仕事でした。
店長には、どんな手を使っても…
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