人生ではあと一歩のところで、ボタンの掛け違いをしたために、またとない幸運を逃すことがあります。
そんな悔やみきれない苦い思いを今頃は噛みしめているのではないかと思うのが、離婚報道で思わぬ脚光を浴びている、元貴乃花親方です。
貴景勝の優勝で、どれほど狂喜乱舞したでありましょうか。そしてその胸に去来したものはいかなるものであったでしょう。
既に過去を葬り去った身であっても、自分が師匠であった時であったならと、無念な思いは禁じえなかったでありましょう。そして離婚することもなかったに違いないと。
人生に逆転は必ずあります。これから先は、元師匠の花田光司さまがどんなドラマを見せてくれるか、に関心があります。
是非とも人生の逆転の大一番を、いつか必ず見せて欲しいものだ、と願っています。
そうでもなければ男が立たない、寂しすぎやしないか、です。
貴景勝の優勝で、もう一つの話題を提供したのは実の父親でした。
子供の頃、貴景勝は空手を習っていましたが、優勝を期待されていた試合に出て、判定で敗れました。
貴景勝は、自分が勝ったはずなのにどうして、と納得がいきませんでした。
もう、判定で勝敗が決まるようなスポーツは嫌だ、と選んだのが相撲でした。
息子の選んだ相撲の道を父親は応援しました。貴景勝の本名の貴信という名前は、ファンだった貴乃花から一字を取った名前でした。下の信は信長の信、とのことです。
父親は息子を相撲道場に連れて行って鍛えました。
息子が土俵の上の稽古で疲れ切って足に痙攣を起こし、口から泡を吹いているにもかかわらず、「どうした、まだまだだ、起きて戦え」と叱咤し、声を上げる厳しい父親でした。
父親は息子が強くなるためには、まずは体重を増やすことだと考えました。
一日何度も何度も息子に食事を与えて、太るように仕向けたのです。
息子にかけた食事代は月に30万円を超えたといいます。
その甲斐あって、息子の貴景勝は小学校を卒業するときには体重は90キロを超えていました。
小学4年生から相撲をはじめて、毎年20キロずつ体重が増えていった計算になります。
こうした父親の指導のもと、貴景勝は中学や高校で日本一の成績をあげて、見事貴乃花部屋に入門することとなり、今日の栄光を掴んだのでございます。
貴景勝と父親との親子鷹を見ていると、我が家の息子との親子鷹に思いが走り、複雑な心持となった世のお父さんたちも少なくなかったでありましょう。
先週末、久しぶりにデパートに行きました。
何かの用事があって…