北海道全域が厚真町を震源地とする地震の影響を受けて停電、「ブラックアウト」しました。
道内最大の苫東厚真火力発電所が、地震によって故障が発生し、稼働不能に追い込まれたことによる停電でした。
苫東厚真発電所の電力供給能力は160万キロワットで、道内の電力需要の約40%を担っていました。
この主力発電所が休止したことで需給バランスが大きく崩れ、ブラックアウトという最悪の事態を招いたのです。
私たちは電気を食べて生きています。電気を食べることで社会が飛躍的に繁栄し、豊かな生活を手に入れました。
その電力を失うと社会生活が成り立たなくなることを、この度の北海道全域の停電は教えてくれています。
電気が止まることで水道の供給も停止しました。
トイレの水は流すことができず、コンビニの食料品はアッという間に消え、テレビは見ることができず、携帯電話も使用不能となりました。
病院では救急医療を受けつけることができず、人工心肺の医療や人工透析を受ける必要のある患者にとっては、この世の地獄のような光景が広がったのです。
街からは灯りが消え、信号機もとまり、交通機関は全面運休となり、ガソリンスタンドには数時間待ちの長い車の行列ができました。
職場や学校は閉鎖され、北海道の経済活動は壊滅的な打撃を受けたのです。
しかしながら、9月のこの陽気の季節であったことが不幸中の幸いでした。
もし厳冬の出来事であったなら、とゾッとします。
手前どもは24歳の時から34歳までの約10年間を北海道で過ごしました。
いわば第2の故郷といってもいいほどに馴染みのある土地です。
北海道の夏は短く、アッと言う間に通り過ぎていきます。
9月に入ったこの時期は、厳しい寒さの長い冬をすぐそこに迎えて、家々では越冬の準備に余念がありません。
迫り来る冬の足音に耳をすませながら、身をすくめて味わう寂寥感は道産子ならのものです。
今回の北海道地震と停電の報道をテレビで見ながら、いくつかの懐かしい顔が浮かびました。
初めて逮捕された時、我が夫がそんな極道であったのかと驚いて去っていった2番目の奥方、
手前どもが前科者となり、北海道に見切りをつけて上京した後に「頑張ってください、応援しています」と励ましの手紙をくれたススキノのあの女性、
テレビゲームのリース時代に格別のお世話をいただいたニトリ家具のドーム店前の喫茶店のマスターと、人の好いその妻の美容室のママ、
いつも自宅の農園で揺れた夕張メロンをダンボールに入れて送ってくれた、夕張・清水沢の若夫婦。
北海道の裁判で身元引受人になってくれたラーメン屋のオヤジ、自衛隊の隊内にはじめてテレビゲームの設置を許可してくれた施設大隊で喫茶店を経営していた特攻隊上がりの元海軍少尉の親分肌の大将、
そして全道48カ所に展開したビニ本店の店長を務めていただいた、元小学校校長だった、あの人、車椅子のあの人、
夫婦で2回も逮捕されながらも懲りずに最後まで店長を続けてくれたあの人たち、、、と忘れえぬ顔が走馬灯のように現れては消え、消えては現れたのです。
思いはあの北の大地の空を駆け巡った数日間でしたが、ようやく電力復旧に向かっていることは、何よりのことです。
政府は電力供給に余力がないから、との理由で北海道民に節電を呼び掛けています。
失った日々をこれから取り戻そうとしている矢先に、水をかけるような無粋なことをしているのです。
電力が不足しているからと経済活動を自粛して、その損失は誰が負担してくれるというのでしょうか…