「すすきの3Pの夜、明け方まで」

久しぶりに友人と会い、昼食を食べようと西麻布の交差点近くにある中華料理店に入りました。

友人は、今日の日本式焼肉店のスタイルを最初に考案し、全国に広めた伝説の男です。

全国の名だたる有名焼肉店も、彼のレシピを真似て今日の焼肉店の形が出来上がったと言われています。

中華料理店では、店の人気NO.1だという麻婆豆腐定食のセットを注文しました。

この中華料理店、西麻布という東京でも食通の通う街では知る人ぞ知る有名店です。

が、出されてきた麻婆豆腐を口にしてみると、「人気NO.1」と言われるほどの味ではなく、さもない料理にしか感じられませんでした。

しかし、同席した「元祖日本の焼肉店王」はウマイウマイ、と相好を崩してペロリとたいらげたのでございます。

皿に残っている手前どもの麻婆豆腐を見て「食べてもいい?」と言うや否や、コチラの残りの方もアッという間にたいらげたのでございます。

同年代でありながら、健啖家でございます。

ただ、彼はただの健啖家ではなく、食べ物を貪欲に味わう精神が、人並外れて旺盛なのでした。

元祖焼肉店王といわれる男は、すこぶる料理をおいしく味わう達人であることを発見したのでございます。

友人と別れて西麻布のバス停から新宿の事務所まで、バスで行くことにしました。

バス停には先客がいました。日傘をさされた40代と思われるご婦人です。

半袖のワンピースからは、程よく脂の乗った肉付きのいい白い肌が覗いています。

彼女は手前どもを確認すると「どうぞ、お先に」と体を横にして、前に進むようにと促されたのです。

「いいえ、あなたのような美しい方の後ろに並ばさせていただく方が光栄です」と、ご辞退申し上げました。

ご婦人のお顔は、かつてのアイドル松浦亜弥さまによく似ていらっしゃいました。

その顔が、ポーッと赤みを帯びました。瞳も気のせいか潤んだように見えたのです。

「あなたのような素敵な方とご一緒してバスを待っていますと、いつまでも待てるような気がします。いっそバスなど来なくてもいい、という気持ちにさえなります。不思議ですね」との言葉を放ちますと、

「まあ、お上手ですこと」と、お口元にハンケチを添えながら、ホッホッホ、と上品な笑いを見せられたのでございます。

「もしよろしかったら、その辺でお茶でもご一緒させていただけませんか」と言葉を続けようとした時でございます。

都営バスのアンポンタンが、プーッ、スーッという無遠慮な空気圧を吐いて、目の前に横づけしたのです。

引き裂かれた形になりましたが、バスの中に進みますと、その他の席は満員でしたが、横の長い座席には客は誰も座っていませんでした。

彼女は奥の方に、手前どもは手前の方の席に少し離れて腰を下ろしました。

過ぎ去りし7月7日の、七夕の彦星と織姫のような微妙な心持ちとなったのでございます。

彼女は、当方を気になされたように、軽く頭を下げられ、微笑を見せられました。

その顔には「女はいつだって殿方に声をかけられることを意識して外を歩いているんです。覚悟はできています、さあ、声をおかけくださいまし」と書いてあるように見えました。

彼女の席との間には、人間一人分が座れる50センチほどの空間が空いていました。

その空間を縮めて、彼女の隣に座り「お茶をご一緒にしませんか」と誘うのは、次の停留場に停まったときにしよう、と決めていました。

バスが次の停留場で停車しました。客がバスの中に入ってくる気配がしました。

彼女との距離を、自然を装って詰めるチャンスです。

腰を浮かせて席を詰めようとした瞬間です…

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