大阪の警察の留置場から、強姦と強盗を常習とする凶悪犯が逃亡しました。
留置場暮らしを少なからず経験している手前どもは、日本の警察の厳重な警備体制を承知しています。
よくぞあんな厳しい警備をかいくぐって脱走できたものよ、と感心するのでございますが、どんなに完璧に見える警備体制でも人間社会のことであれば盲点はあるものでございます。
脱走犯の男は留置場にいる間中、そのことばかりを考えて、脱走の手口を見つけたのでしょうが、よくもあの面会室のアクリル板をけ破ったものだ、と恐れ入ってございます。
米国は今日でも刑務所では年間2000件を超える「脱走事犯」のある国でございますが、拘置所での容疑者や未決囚に対する取り扱いには厳しいものがあります。
弁護士や知人との面会時、どんな時でも足につけられた重りと拘束錠は外されることはありません。
ただ、房から出て面会室の前で、後ろ手錠だったものが前手錠になることが許されるぐらいです。
日本のように、鉄の重りをつけられることなく、前手錠だけですむというのは脱走を企む悪漢にとっては夢のような話でございます。
基本的に米国の警察には日本の警察のような代用監獄の「留置場」はありません。
あるにはありますが、逮捕されて48時間以内に身柄を警察に送られ、その後拘置所に留め置かれるというシステムですから、警察の留置場は日本ほど必要とされていないのです。
米国では容疑者を留置場に長く留め置くことで、容疑者に不利な状況での、警察官の取り調べによる冤罪防止の目的から、警察の代用監獄は廃止されたということです。
米国の裁判は証拠主義と司法取引から成り立っていますので、日本のように長時間尋問を続けて自白を強いる、という必要もないのでした。
手前どもがハワイ、オアフ島で逮捕された時も、警察、検察による尋問は1時間位で、夜が明けてからすぐに身柄は拘置所に送られました。
その後、警察、検察による取り調べは一切行われず、裁判となったのでございます。
米国で拘置所に送られますと、その時から全員私服を取り上げられ、あのオレンジ色のつなぎを着用することが義務付けられます。
どこに行っても一番目立つ色、として選ばれたオレンジ色ですが、このオレンジ色のつなぎを着ると、小心者のコソ泥も一人前の悪党ヅラに見えるから不思議なものです。
拘置所の雑居房暮らしで親しく会話をするようになった巨漢の男がいました。
齢の頃は40過ぎの白人で顔面は傷だらけ、それだけでも”懲役50年”の貫禄がある男でしたが、彼は万引きの常習犯でした。
あんな立派な体をしているのだから、いっそのこと強盗でも働けばよかったものを、と思うのでしたが、少し付き合いを続けているうちに、虫一匹殺せない気の優しい男であることが分かりました。
男の顔面の傷も、以前働いていたパイナップル農場でコンバインに巻き込まれる事故に遭った時のものだったのです。
ああした場所では、こんなヤサ男が、と思うような人間が、実は大量殺人鬼であったりします。
35年程前、フィリピン、マニラ近郊にあるモンテンルパ刑務所に収容されていた日本人死刑囚を取材に行った時のことです。
2000人程収容されているその刑務所の中に、死刑囚たちが収容されている棟がありました。(現在フィリピンではドゥテルテ大統領による麻薬犯罪者に対する処刑が行われているといわれていますが、公には死刑制度が廃止されています)
その中で、50人近くを爆殺したといわれるミンダナオ島共産党ゲリラのテロリストや、7人の家族を惨殺した殺人鬼、これまで15人以上の人の金を奪って殺した強盗殺人犯、といった凶悪な諸氏と会いましたが、いずれもニコニコとして愛嬌がよく、小さい体の外見からはとても凶悪犯には見えませんでした。
漫画「大家さんと僕」で昨今人気のカラテカ矢部さまのような風貌の青年が、「30人までは覚えているがそれ以上は何人殺したか分からない」と嘯く連続殺人犯であったりしたのでございます。
米国の拘置所での面会は、面会人との間をアクリル板で仕切られた場所に座り、足の重りはそのままに後ろ手錠は前手錠となって、互いの会話は電話を通じて行われます。
当局はどんな内容を話しているかを全て把握できる立場にいます。
弁護士との面会では、看守は立ち会うことはありませんが、手足の錠を外されることはありません。
日本の面会室では相手が弁護人でない場合は、容疑者の後ろに看守が座って話の内容を書き留める作業をします。
内容が事件のことや証拠隠滅のことなどに及んだ場合、面会は即刻中止されることとなります。
が、相手が弁護士ですと容疑者と弁護士が話すその部屋には看守が入ることはありません。弁護士の弁護活動を妨げないことに留意するためです。
こんなことがありました。都内のある警察の留置場に拘留されて取り調べを受けていた時のことです。
30分の予定の面会時間が10分ほど早く終わりました。
面会室の扉を開けて外に出ようとして開けたら、ガタン、と何かにぶつかったのです。見ると手前どもの調書を担当していた刑事がその場に2人うずくまって頭を抱えていました。
この2人の刑事は、手前どもと弁護士が、中でどんな話をしているのかと扉に耳を近づけて聞いていたのでしょう。
刑事のバツの悪そうな苦笑いに、何も隠しだてせずに正直に話をしているのに、なんということをしているのだ、と腹立たしい思いをしたものでございます。
米国の拘置所での屈辱的な体験は、面会後に待っていました。
面会を終えると素っ裸となり、看守の前で口を大きく開いて両手を万歳し、中腰になって何回かその場で回転してみせることを強要されました。
外から何も持ち込んでいません、を自分の体で証明してみろというワケです。
手前どもが面会を終えて、この全裸での万歳ポーズをするときに限って、看守は「そのままで」と手前どもを制止するのでした。
そして看守はアクリル板で仕切られた別室の電話をおもむろに取り、片手で円を描くように回れ、と支持してくるのでした。
要するに、鳴ってもいない電話を耳にあてて、さも電話で誰かと話をしているフリをしながら日本人男の全裸を楽しもうというゲスなホモ野郎の看守であったのです。
その間1分ほどであったでしょうか、ホモ看守はまだ30代で若かりし手前どもの裸を心ゆくまで堪能したのでございます。
心洗われる体験をしました。
2歳児の男の子を救い出した尾畠春夫さまでございます。
65歳でそれまで開いていた別府の魚屋を閉め…