「今年1年の感謝を込めて」

日本は男尊女卑の国であり、西欧は女尊男卑の国である、という俗説がまかり通ってきましたが、事実は違います。

男女同権の民主主義神話を信じる人たちは、そんな筈はないと異論を唱えられるかもしれませんが、精神の価値を伝統的に重視してきたキリスト教的風土の西欧こそ男尊女卑の国でした。

キリスト教の考えでは、女性とは自然そのものであり、誘惑に陥りやすく、不完全な、信用できない、弱い存在です。

藤吉久美子さまや山尾志桜里さまや斉藤由貴さまのような「不倫」に身を焦がすような女性こそ、女性そのもの、との認識です。

キリスト教の世界では、男だけが強固な意志を持ち、精神の高みへ駆け上がることができる自由な存在として規定されました。

こうした西欧に根強い「女性不完全論」に対し、ボーヴォワール女史は憤りを隠せず「女に対して傲慢で軽蔑的なのはたいてい自分の男らしさに最も自信のない人たちであるのが普通である」と批判しています。

しかし「女性蔑視」の考えはキリスト教の教えの色が濃い近代以前の男たちの主軸となるものでした。

それはまた、女性に対する漠然とした不安や劣等感に悩む世の男性たちのコンプレックス払拭に役立つものでもあったのです。

手前どもは勿論のこと、女性蔑視の立場に立つ者ではありませんが、多くの碩学は女性への偏見に基づき、次のような洞察を述べています。

オーストリアの青年哲学者オットー・ヴァイニンガーは23歳で自殺していますが、「性と性格」といった優れた著書を残していることで知られます。

ヴァイニンガーは「女性には魂も自我もなく、従って記憶も論理も倫理もなく、女性という存在はただ朦朧とした思想以前の段階にあるにすぎない」と主張しました。

ヴァイニンガーによれば、「もっとも低級な男性といえども、最も高級な女性より、なお限りなく高級」ということになります。

アリストテレスは「女性は不完全な男性である」と言い、聖トマスは「女は出来損なった男である」と容赦ありません。

また聖アウグスティヌスは「女は堅実ならざる動物である」と定義し、テルトウリアヌスは「女よ、汝は悪魔への扉なり」と断じ、19世紀の進化論者スペンサーは、「女性は人間の発展における低い階段を示すものである」と書き、ドイツの高名な哲学者ショーペンハウアーは「女性とは子供と男性の中間段階のようなもので、男となって初めて人間となる」と断言しました。

またプラトンも「卑怯な振る舞いをしたり不正な生活をしたりする者は、次は女になって生まれ変わってくるだろう」とまで決めてかかっています。

こうした女性蔑視の意見は「男根は意志の真の中心である」の考えに根ざしています。

男性はそのボッキ力を意志の力で制御することが可能なことから、ただ受動的に受け入れる女性の性(膣)より上位に男根をおいたのです。

象徴的に言えば、女性は土地で男性は種子であり、土地の役割は種子を迎え入れ、芽を守り、育てるといった受動的なことに他なりません。

男の精神は受動性に打ち勝ち、これを思うがままに制御することから、優位におかれたのです。

このことで男根は精神そのものである、との考えが生まれました。

これをヴァイニンガーは「完全な女性とは性的な存在でしかないが、完全な男性とは性的であると同時にさらにそれ以上の何ものかである」と述べています。

こうしたことは、近代まで、女性は子供を産む道具、として定義されていたことによります。

それらは女性が経済的な力を持つことのなかったが故の”悲劇”ですが、女性が経済的自立を獲得した現代において、そうした差別意識は是正されました。

それらは優れた人権の思想によるものではなく、経済的豊かさの自立によってもたらされたのです。

あらゆる差別と同じく、豊かさこそ人間を解放する最大のツールなのです。

近代以前は女性の生活は献身であり、男性のそれは略奪であり、女性はその存在を男性に捧げる時に、その運命が充実しているものであるといった、女性をもっぱら男性本位の視点から眺める思想が蔓延していました。

が、歴史の中には、男を支配することでエロティシズムを感じる女性たちも存在しています。

ロシアの女帝エカテリーナ2世は、生涯情夫300人と言われるほどの荒淫によって知られています。

エカテリーナ2世は単なる好色ではなく、マゾヒズム的陶酔の変態的嗜好に耽溺したのですが、彼女が67歳で亡くなった時、女帝の死去を本国に報じたイギリス大使が母国にあてて書き綴った手紙のに「ついに愛を知らぬ女の死」という一節があります。

このことからエカテリーナ2世は好色というより冷感症のストレスから、男を次から次へと取りかえて、あのような奔放な生活を送っていたのではないか、と見られています。

エカテリーナ2世を単なる情痴と淫蕩だけの、思慮の足りない女帝と判断するのは間違いです。

彼女は同時に外交的手腕に長けた政治家としても超一流の、男勝りの英明な君主でもありました。

哲学者ヴォルテールと文通し、ディドロと親しく、哲学的会話を楽しむことができたことから、彼女がいかに英知に溢れた女性であったかが分かります。

当時、女性が男勝り、女丈夫(ヴィラーゴ)であるということはルネッサンス時代のイタリアにおいては最大の女性への名誉というべき賛辞でした。

(澁澤龍彦「エロティシズムを生きた女性たち」「幸福は永遠に女だけのものだ」より)

女性のエロティシズムは、今日のように「ナヨナヨ」として男性の庇護を受ける対象としてではなく、男性と同等となろうとする雄々しく崇高な女性に見られたのです。

男とわたりあい、ある時は支配し、男たちの称賛を自尊心を持って受け入れ、男たちの腕の中にあっても食われる餌食とならない、自立した女性たちが秘かに称えられたのです。

20世紀に入って経済が豊かになり、女性らしさ、美しさに対する美意識が劇的に変化しました。

その美意識に大きな影響を与えたのが映画です。

映画製作者たちは、女性をより女性らしく訴える手段として女性の乳房にフォーカスしました。

女性の象徴として豊かな乳房に焦点をあてることでマリリンモンローをはじめとする、美しくたおやかな乳房を持つスター女優が多く誕生したのです。

西欧諸国において、それまで乳房は女性らしさの象徴となるものではありませんでした。

彫刻や絵画に描かれた女性像の中で乳房を大きく強調した作品が見られないことからも、そのことはうかがえます。

ミケランジェロやダ・ヴィンチの女性を表現する作品を見れば、乳房がいかに二次的存在としてしか扱われていなかったかが分かります。

日本においても、乳房の存在がクローズアップされてきたのは、映画の影響を受けた戦後になってからのことです。

日本のエロティシズム表現の代表的なものとして浮世絵の「あぶな絵」があげられますが、それらの数千枚の作品の中で乳房を強調して描かれているものは実に2、3枚程度しかありません。

ほとんどの浮世絵で、乳房は着物で隠されているか、露出していても申し訳程度に描かれています。

戦後日本で乳房が「女性の美のステータス」として愛で上げられるようになったのは、1980年代に登場したAV女優松坂季実子さまからです。

彼女の巻き起こした「巨乳」ブームによって西欧に遅ればせながら、日本でも女性の美しさの基準に「豊乳」が加えられました。

このことによって女性たちは、膣以外に乳房という、「女性の魅惑のポイント」を持つこととなりました。

男尊女卑を忌避するどんな女性活動家や思想家もなしえなかった「女性の権利と美の主張」をAV女優松坂季実子さまが身をもって実現したのです。

このことによって男性たちは膣に加えて乳房にも翻弄されていくことになりました。

たおやかな乳房とどう向き合うかで、男の甲斐性が試されるようになったのです。

一方において多くのマザコン男性にとって、女性の豊かな乳房は、母なる存在への回帰でした。

豊乳に顔をうずめることで幼き日の母の慈愛に満ちた胸に抱かれた安息の日を取り戻すことができたのです。

男性にとって女性は愛しているけれど性愛の対象とならない存在か、愛してはいないけれど性愛の対象となる存在、の2つに分けることができます。それらはすべて性器(膣)によって左右されるのでしたが、乳房の出現によって愛していようとも、愛していなくとも、等しく愛で上げるもの、と位置づけられるポイントが誕生したのです。

男性にとっては「箸休め」の存在として「乳房」がクローズアップされたとも言えます。

今日、西欧諸国のみならず、日本においても豊乳は美しい女性の美の基準としてかけがえのないものとなっています。

豊乳への蔑視は過去のものとなったのです。

信じられないかもしれませんが、わが国の巨乳ブームの立役者となった松坂季実子さまは…

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