恩人、がいます。その人が亡くなりました。突然でした。
享年80、年齢からすれば天命をまっとうしたように思われますが、生前の元気な姿を知る周囲の人間は100歳まで生きるのではないか、と思っていただけに、一様に驚きました。
手前どももその一人です。恩人のI会長とは35年の付き合いでした。最初にI会長とお会いしたのは、知人の結婚式でした。
新郎はプロダクションの社長で新婦はそのプロダクションに所属する女子社員でした。
上司が部下の社員に手をつける、というよくあるケースでしたが、新婦の両親は2人とも教職者でした。
新郎のプロダクションは、主に裸の露出の多い仕事を専門とする女優を抱えていた手前、お堅い新婦の親族を招いての披露宴への人選に苦労していました。
披露宴に招いても、周りに新婦の親族を満足させることのできるような「カタギ」の人物が見当たらなかったからです。
加えて披露宴では新郎側を代表して挨拶をする人間が必要となりました。
そこで白羽の矢を立てられたのがI会長でした。I会長は赤坂でアートフラワーのリースをする会社を経営していましたが、ソフトな仕事に似合わず外見は質実剛健そのものだったことから、新郎に「是非ご挨拶をお願いしたい」と頼まれたのです。
披露宴には50人ほどの客が集まりました。来賓代表の挨拶の番がやってきて、I会長がマイクを持ち、来賓としての話がはじまりました。
最初は諸先輩の皆様を前に、「僭越ながら~」の定石通りの挨拶からはじまり、結婚の意義とは、といったこれまたセオリー通りの話に展開していきました。
そのあまりのお約束ぶりが可笑しく思われ、手前どもはつい、声を上げて笑ってしまいました。
I会長はギロリと手前どもを睨みましたが、気をとりなおして話を続けられました。
宴会が始まりました。先ほどの無礼をお許しください、とI会長の所に行ってお詫びをすると「まあ、いいやさ」と笑って許してくださいました。
そのことが縁となって、それから親しく口をきくようになり、お付き合いが始まりました。
お付き合いといっても盆暮れの挨拶程度、「君子の交わりは淡きこと水のごとし」といった浅いものでした。
親しくお付き合いをはじめるようになったのは25年前にダイヤモンド映像というAVメーカーを倒産させた時です。
I会長が来賓として挨拶をした結婚式の新郎に振り出した小切手が800万円、不渡りになりました。
新郎のプロダクションの社長の男はその小切手をI会長の所で割り引いたのです。
そのことをI会長から電話を受けて知りました。倒産したとはいえ、以前からお付き合いのあった関係上、無視してやり過ごすわけにはいきませんでした。
ご挨拶に会社にお伺いして、いずれ買い戻すので、当分の間待ってください、とお願いしました。
すると、「まあ、いいやさ」と許してくださったのです。
それから毎月、少しずつお金を返しにI会長の会社にお伺いするようになりました。
1回に何十万の返済はできずに2万、3万、時には1万円という返済でしたが、快く承知して受け取ってくださいました。
I会長は青山学院大学を卒業して三越に入社し、1カ月程経って辞め、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった力道山の経営する会社に入社しました。
が、不運なことに、I会長が入社して3年目に、力道山はヤクザに刺された傷がもとで他界しました。
主がいなくなった力道山の会社は呆気なく倒産してしまいましたが、I会長は独立して不動産業から貿易の仕事まで多岐にわたる商売に骨を折られて、都内のクラブやオフィスにアートフラワーをリースする仕事で財を築かれたのでした。
そうした過去の関係からI会長のもとには力道山時代のプロレス関係者が沢山出入りしていました。
芳の里もその一人でした。一世を風靡した芳の里でしたが、現役時代に痛めた腰痛がもとで働くことができず、晩年はI会長のもとで「力道山プロレスOB会」を立ち上げ、会長に就任されていました。
I会長は剛胆でしたが、男気のある人物でした。苦労している昔の仲間を見ると、いつも手を差し伸べて助けていました。
その優しい人柄に魅せられ、様々な人たちがI会長のもとを訪れていました。
奥方の千枝子さまの「潮吹き」のみならず、ヤクルトの創始者として知られる敏腕経営者でもあった窪園秀志氏や、日本ではじめてハイジャック犯となったシグ・片山氏などです。
シグ氏は自分はユニマットをアメリカから持ってきた張本人でしたが、ハイジャック犯として長い、懲役に行っている間に奪われた、とお会いする都度に熱く語られていました。
許永中氏にジャイアント馬場氏にアントニオ猪木氏、力道山の敬子未亡人、関東最大の広域暴力団S会のF会長とは幼馴染みで俺とお前、の関係でした。
東京スポーツ新聞の太刀川会長、新日本プロレスの菅林会長、といった人々から芸能界、スポーツ界、政界に至るまで、その交友関係は実に広いものでした。
特に警察関係者にも知己が多く、闇カジノからみかじめ料を貰っていて逮捕され、懲役に行った元刑事Sとは、I会長がお亡くなりになるまでお付き合いが続きました。
S元刑事が懲役に行っている期間…