清水富美加さまがご出家なさったことが話題になっています。
ご出家なされて、「千眼美子」さまと改名なされた富美加さまでございます。
6歳の時、幸福の科学に入信した、と伝えられています。これまで16年間に及ぶ信心生活でございます。
16年間の信心生活で学ばれたのは、「後は野となれ山となれ」の無責任な生き方のようでございます。
幸福の科学の方も、そんな生き方をすすめられて受け入れられたというのですから、何をか言わんや、でございます。
成人した大人の女性がどんな道を行くのかは自由で許されているのでございますが、それは少なくとも立つ鳥跡を濁さず、の常識があってのことでございましょう。
巷に伝えられている10億ともいわれる損害を事務所に与えて、15歳の7年前から死にたかった、と悲劇のヒロインに逃げ込むのは許されざることでございます。
食い散らかした挙句、この料理はマズかった、本当は食べたくなかった、の後出しジャンケンは非道というものです。
非道、とは人の道にはずれること、でございます。
彼女の追い込まれた気持ちを理解すべきだとの発言をテレビでした女医さまがいらっしゃいましたが、彼女のお陰で追い込まれるどころか路頭に迷うことになる事務所スタッフはどうするのだ、というのでございます。
いい人ゴッコばかりで性悪なタレントの悲劇のヒロインのごとき行状を非難することのできない、芸能メディアの「モラルの喪失」こそ悲劇でございます。
煙草大好きの喫煙者であったことや、妻ある好きな男とのことが悩みの種だったことを告白し、「全部言っちゃうね」の告白本を出された千眼美子さまでございます。
一読すると純真な心の持ち主のように思われるのですが、実像は「したたかな女」でございます。
こうしたことをすれば相手がどう思うか、どんなに傷つくか、にはまったく忖度することの無い、自分が一番、の手前勝手な言い分の羅列にしかすぎません。
出家されるとのことですが、幸福の科学に出家しなければ生きる道を探すことができないのでしょうか。
自分が誰であるかは他者を合わせ鏡として知ることができます。
出家したり一人部屋に閉じこもったりして自分は何者であるか、を探しても答えは見出すことができないのです。
他者との関係性の中で自分が何者であるかが分かるのです。
この幸福の科学は「霊が降りてくる」商法で知られております。
科学が進歩したこの世の中で「霊が降りてくる」なんぞ、よくも恥知らずに言えるものだ、と呆れるのは大方の反応でございます。
が、性懲りもなく「霊が降りてくる」商法を続けておられるものでございます。
まともな義務教育を受けて知能指数にも問題ないと思われる普通の人間が、どうして「霊が降りてくる」商法にむざむざとつかまってしまうのか、と不思議に思えてなりません。
この世に霊が降りてくることはない、と断言するのは論理的思考に基づいています。
人間は死ねば「無」になります。いや、霊になる、というのが幸福の科学の主張でございます。
百歩譲って、霊になるということを肯定したとしても、霊になった人間が喜怒哀楽の感情を持っていること、がなんとも納得がいきません。
「霊になる」ということは永遠の命を持つということでございます。
永遠の命、とは死なないということです。
千年や2千年どころか、これから先、永久に、1万年も100万年も1億年も生きる、ということでございます。
イエスさまが生誕なされてから今日まで2千年、人類は随分と長い歴史を歩んできましたが、霊となって永遠の命を授かり、その2千年の1億倍以上の無限の命を持った霊は、果たしてどんな感情を持つでありましょうか。
答えは、死がないのですから喜びもなく、喜びもないのですから悲しみとも無縁となる、でございます。
石仏のように人間の感情というものを失った存在になるのでございます。
その無機質となった霊が、何が悲しくてワザワザこの世に降臨してきて、ああでもないこうでもない、の能書きを言うというのでありましょうか。
霊がもし口を開くとしたら、「嘆くではない、いずれあなたも明日は我が身となって永遠の命を得、喜怒哀楽を超越し、私のように無の境地になるのだから」でございます。
1プラス1が2、であるように論理的に考えれば正解は簡単に手に入れることができるのです。
霊が降りてくる、見える、と自称する女性がいました。
縁あっておつき合いをしたのですが、事あるごとに「霊が降りてきて見える」との口癖に辟易させられました。
ある時、2人でビーチに泳ぎに行きました。サングラスを無くした、と彼女が騒ぎ出したのです。
ブランドモノで大切にしてきたモノだから、無くなったら困る、どうしよう、と大騒ぎでございます。
あまりの動揺ぶりに、同じモノを買ってあげるから、となだめても、あのサングラスには想い出があるからお金では買えないの、と逆ギレする有り様でした。
ふと見ると、彼女の頭にサングラスが乗っているのが見えました。
「あなたの頭に乗っているサングラスは何?」と言うと、彼女は頭に手をやりサングラスを掴み取り、「あっ」と驚いた声を出しました。
無くしたのではなく、自分の頭の上に乗せていたことを忘れていたのでございます。
日頃は「見えている、私には何でも見えるの」と豪語していたクセに、なんということでしょうか。なんとも不快な気分となりました。
この漫画のような一件があってから彼女に対する親しい感情が薄れて、挙句、お別れをしました。
幸せになれる筈の、「霊が降りてくる」能力が災いして、不幸になった、という顛末でございます。
「霊が見える、降りてくる」などと口走る人間を世間では「インチキ」、「ペテン師」と言うのでございます。
突然辞めることでどれほどの人間が痛手を被り迷惑していることか、について霊をタテに頬っ被りしようとする破廉恥こそ、霊感商法の実体でございます。
何とも血も涙もない輩がいたものでございます。
北朝鮮の金正男さまがマレーシアの空港で殺害された事件は大きな波紋を呼びました。
ご本人は家族と静かな生活を望んでいたのにもかかわらず…