昨日から本日までの2日間、上海に滞在しました。
上海在住の日本人ビジネスマンの皆さまに講演をさせていただくお仕事でございます。
月曜日、平日の午後2時からのスタートでございましたが、ご予約いただいたお客さまに1人もキャンセルがなく、お陰さまで好評のうちに無事講演会を終了することができました。
講演が終わって会場の控室で休んでおりましたら、中国人スタッフのロさんが血相を変えて室に飛び込んできました。
「大変なことになった、信じられない」と叫びながら手前どもにスマホをかざして見せました。
大変なこと、と言うので、もしかしたら誰か有名な政治家が暗殺でもされたか、それとも何かトンデモナイ事故でも起きたのか、と恐る恐る差し出されたスマホを覗きこみました。
そこにはAV女優の紅音ほたるさまが今月15日、喘息で突然死なされた、との報道が記されていました。
日本通で日常会話も日本人と同じように日本語を操るロさんは、いつも日本のネット情報を検索しています。
その彼がいつものように日本のネットを見ていたら、紅音ほたるさまの突然死の情報が飛び込んできた、という案配です。
ロさんの顔が蒼白になっているのには事情がありました。
ロさんは紅音ほたるさまと同じ齢の32歳ですが、彼の青春時代は紅音ほたるさまと共にあった、といってもいいものでした。
ロさんが最初に紅音ほたるさまを知ったのは日本に留学して大学に通っている時でした。
紅音ほたるさまがご出演なされているAVを見てロさんは雷に打たれたような衝撃を覚えました。
潮吹きクイーンとして有名なほたるさまの「天井を突くがごときの見事な潮吹き」に遭遇したことももちろん、ロさんを虜にしたのですが、紅音ほたるさまの容姿が初恋の人に瓜二つだったからです。
ロさんの初恋は彼女が別の地方の共産党幹部の息子と結婚することで終わりを迎えましたが、ロさんにとって初恋の彼女は忘れようとしてもいつまでも忘れることができない存在となりました。
そして、日本に留学中に紅音ほたるさまがあまりにその彼女とそっくりであったがために、初めは、自分が初恋の人を恋しがっているうちに頭の回線がおかしくなってしまったのかもしれない、と自分自身を疑いました。
しかし、ほどなくして、紅音ほたるさまのAVを見て、まったくの別人であることを確認しました。
紅音ほたるさまのAVを見て、ロさんは、過ぎ去ってしまった恋が再び甦った、と興奮しました。
それからは来る日も来る日も暇さえあれば紅音ほたるさまのAVを見る日が続きました。
大学を卒業してからも、ロさんは日本で就職する道を選びました。
大学で学んだ経営学を生かせる、経営コンサルタントの会社にお勤めをしました。
朝6時に起きて満員電車に揺られて出勤し、夜の10時11時の遅くまで仕事をする過酷な毎日でしたが、ロさんは踏ん張り続けました。
将来自分も経営コンサルタントとして独立したい、との夢を抱いていたからですが、そのロさんを支えたのは紅音ほたるさまのAVでした。
夜中、寝る前に晩酌をしながら紅音ほたるさまのAVを見ることができる、と思うと不思議なことに全身に力がみなぎってくるのをおぼえたのです。
6年前、ロさんは職場の同じ中国人の同僚の妹と結婚しました。
できちゃった婚です。生まれたのは男の子でした。
新妻は優しい女性でしたが、外見的には必ずしもロさんの好みではありませんでした。
でもロさんは彼女を結婚相手に選びました。
職場の同僚の彼女の兄とはとても気の合ういい関係でしたので、その妹ならば間違いない、と思ったからです。
そして彼女が妊娠したことも結婚へ踏み出す大きな要因となりました。
結婚は長い人生のパートナーです。慣れない日本人女性より、やはり中国人女性相手の方がうまくいくと思ったからです。
故郷の中国山東省に住む両親は、一人っ子のロさんが1日も早く結婚をして孫の顔を見せてくれるように待ち望んでいたことも影響を与えました。
親孝行のロさんは、親戚に多額の借金をしてまで自分を大学まで行かせてくれた両親を1日も早く安心させたい、という思いがありました。
故郷の山東省に戻り、盛大な結婚式を挙げました。
そして身重の妻を連れて再び日本に戻り、従来通りの会社勤めを続けました。
ロさんの新妻が、無事男の子を出産した翌日、3.11の大地震が起きました。
ロさんの住む大阪では被害にあうことはありませんでしたが、故郷の両親は心配して大騒ぎをしました。
「お前にもしものことがあったら、と思うととても毎日安心して眠ることができない、お願いだから一刻も早くそんな危ない日本から戻ってきておくれ」と催促の電話が毎日のようにかかってきました。
ロさん自身はこのまま大阪で暮らすことに何の不安もありませんでしたが、あまりにも両親が心配するので、これ以上両親を悲しませたくないと、故郷の山東省の田舎に帰ることにしました。
山東省の田舎の故郷に帰って間もなく、ロさんは離婚しました。
ロさんの両親と新妻の折り合いが悪く、ロさんに何の断りもなく子供を連れて自分の実家のある浙江省の杭州に帰ってしまったのです。
ロさんは妻と子供と両親のどちらを取るか、板挟みになりました。
が、悩んだ挙句、両親をとることにしました。
ロさんにとっては置いた両親を捨てることなどできない相談でした。
ロさんは、離婚したとはいえ、両親とは別に幼な児を養育する、というもう一つの義務を負うことになりました。
山東省の田舎にいたのでは、義務を全うするだけの収入を得ることは絶望的に思えました。
もっと大きな収入を得ることができる上海に、一人、思い切って出ることにしました。
別れた妻が連れて行った幼い息子と会うにも上海と杭州は車で3時間ほどで好都合でした。
上海でロさんは新しい就職口を探し回りましたが、なかなかロさんが納得するような条件の企業を探し当てることはできませんでした。
それならいっそ、日本にいた時に学んだ経営コンサルタントとしての知識を生かしてコンサルタント業をはじめよう、と考えました。
中国市場を開拓しようとして日夜悪戦苦闘する日本の中小企業を沢山見てきたロさんは、この分野にこそ自分の力を発揮することができる可能性がある、と考えたのです。
ロさんの温厚な人柄と、それまで蓄積してきた中国市場への分析力が、中国進出を果たした日系企業にうけて、ロさんの仕事は順調に進みました。
20数名の社員も雇い、上海の日系中小企業にとってはかけがえのない存在としての評価を得ることができるようになりました。
中国市場を考えるシンポジウムがあり、手前どもの友人がそこでロさんと知り合いになりました。
友達の友達は皆友達だ、というように、いつしかロさんと親しく手前どもも交際するようになりました。
そしてこの度、中国で新しく始めるビジネスのスタッフの一員としてロさんを迎え入れることになったのです。
今年の4月頃でした。ロさんから国際電話をもらいました。
折り入っての相談があるというのです。
何事かしらん、と身構えると、ロさんは「紅音ほたるさんの件です」と言うのでした。
紅音ほたるさまとは昨年末に手前どものイベントにゲスト出演していただいたこともあって、知らぬ仲ではありません。
「紅音ほたるさんのことでお願い、って、どんなこと?」と尋ね返しますと「彼女は僕の憧れの人なんです。できることなら一度会ってみたいんですが、監督のラインでコンタクトをとっていただけないでしょうか」というのでした。
「それで彼女とコンタクトをとれて、会えることになったらどうするつもり?」と聞きますと、「僕はビジネスの関係の数次ビザを持っています。彼女が会ってくださるなら、今日にでも飛んで行きます」と弾んだ声が返ってきました。
紅音ほたるさまにご連絡をとって事情をお話しすると快く面談を了解してくださいまして「せっかくだから私のポールダンスを見ていただきたいわ」と渋谷にある彼女の知り合いが経営するポールダンスのショーができるステージのあるガールズバーで待ち合わせることを約束していただきました。
6月の下旬、ロさんは来日して、そのまま真っ直ぐに指定された渋谷のガールズバーに姿を現しました。
「紅音ほたるさんに会えるなら」、とこれまた手前どもの友人である紅音ほたるさまの熱狂的なファンである、滞日29年の著名な中国人ジャーナリストも同行しました。
3人が店に入ると、紅音ほたるさまはステージに姿を現し、早速自慢のポールダンスのショーを20分ほどご披露してくださいました。
ショーのあとはロさんや中国人ジャーナリストの席にやってきて、彼らの膝の上に腰を下ろして悩ましいポーズでのスマホでの2ショット記念写真にも応じてくださいました。
中国人ジャーナリストは嬉しさのあまり、嬌声をあげました。
彼とは随分と長い付き合いをしていますが、あんな風に取り乱す姿を初めて目撃しました。
ロさんはまさしく至福の表情です。
盆と正月とクリスマスと誕生日が一緒にやってきて道端で10万円を拾ったら、多分こんな表情になるのでは、と思えるほどに満面の笑みを浮かべています。
ロさんは経営コンサルタントという職業柄でしょうか、日常接していてもあまり自分の感情を表に出さない人間ですが、この時ばかりは顔をクシャクシャにして喜びを表していました。
2人の中国の友人の喜びの極みを見て、今更ながら紅音ほたるさまの中国での人気を思い知らされたものでございます。
それから2カ月ほど経っての昨日の、紅音ほたるさま死す、の報道でございました。
ロさんは控室で手前どもの前の椅子に腰を下ろしたまま、腑抜けのような表情となって宙をにらんでいます。
「監督さん、彼女は僕のこの膝の上に座ってニコリと笑ってポーズをとってくれたんですよ」と掌で膝を激しく叩きました。
久しく、誰かに憧れる、誰かに恋する、という感情を失っていた手前どもにとっては新鮮な驚きでした。
ロさんとて結婚し、離婚したとはいえ、子供のある身です。
30を過ぎたやり手の男盛りであれば、ロマンスも少なからず経験してきているでありましょう。
そのロさんの落胆ぶりを目の当たりにして、ロさんにとって「紅音ほたる」という存在がどれほど大きなものであったか、改めて知らされました。
東京の中国人ジャーナリストに電話を入れると、彼も紅音ほたるさまの死を知っていました。
「何ということだ」と彼は電話の向こうで絶句していました。
彼もまた、長い間交際を続けてきた恋人の突然死にあったような悲嘆ぶりを見せたのです。
「紅音ほたるというAV女優は中国人にとって大きな存在なんですか」と改めて問い直すと、中国人ジャーナリストの彼は「そうですよ、中国人の私たちのような50近くの世代から、20代後半の男たちにとって、紅音ほたるは神様のような存在です。神様のように崇め奉られる存在です。僕は日本に来て30年経ちますが、苦しかったり悩んだりすることがあると、上の空を下から見上げて、この同じ空の下にあの紅音ほたるさんがいる、と思っただけでどれだけ頑張ることができたかわかりません」と溜息まじりの声が電話口の向こうから漏れてきました。
その人間の「生」は肉体の滅亡によって完結するのではありません。
人々の記憶の中に生きている限り、その命は絶えることはありません。
誰の記憶からも忘れ去られた時、名実ともに人間は死を迎えるのです。
そうした意味では、手前どものように世間の皆さまの記憶にとどめおかれる可能性のある仕事に就いている者は幸せ者でございます。
皆さまより何十倍か何百倍もの人々に、その生きた証を記憶にとどめおいていただくことができる限り、です。
その意味では110歳を超えるギネス的な長寿の持ち主より長生きできる、と言ってっもいいかもしれません。
そうした「長寿」を賜ることができるのですから、少々の艱難辛苦や思うに任せぬ日々など、なにほどのことがあろうか、と思うのでございます。
世の中で世間の皆さまの注目を浴びて仕事のできる者の幸せは、たとえそれがどんな仕事であるにせよ、多くの人々の記憶の中にとどめおかれる、ということでございます。
紅音ほたるさまは天国に旅立たれました。
しかしその肉体はこの地上から滅亡しても、中国大陸の全土に、その死を悲しみ、その生をいつまでも慈しむ人たちの幾百万がいることは、もって瞑すべし誉でございます。
最後に彼女と会った2カ月前のガールズバーで、彼女の顔がいつになく浮腫まれていることが気になりました。
何かよからぬことが彼女の体に起きていなければいいが、と気がかりでございました。
彼女はAVを引退してポールダンスの世界での新しい人生を熱く語っていました。
中国での人気沸騰とは別に、晩年の彼女の人生は必ずしも華やかなものではなかったような気がします。
2カ月前、渋谷のガールズバーを後にした時、同行した中国人ジャーナリストは「こんな場末の場所で彼女を見るのは忍びない、もし彼女が恵まれた環境にないのであれば、僕が力を貸したい」と語っていたものです。
中国人ジャーナリストは資産家としても知られ、多方面に豊富な人脈を築いています。
あの時、彼の協力を得る機会があったなら、彼女もこんな生き急いだ人生の終焉を迎えることがなかったのではないか、と惜しまれます。
あまりに若く惜しんでも尽きない、駆け抜けて散った32歳の人生でございました。
生前のご厚誼に感謝申し上げます。合掌。
高畑容疑者が強姦致傷で逮捕されました。
このことについて手前どもはツイッターで「男性の性欲を忌まわしいもの、と思わないでください。男の優しさ、は性欲があればこそ、です。性欲がなければ、あなたへの男の優しさ、はありあせん。優しさと性欲はコインの裏表です。いたずらに性欲を不快に思わないでください。ハサミと性欲は使いようでございます」と書いたところ、一部の方々から猛反発を喰らいました。
大方の意見の皆さまは「性欲がなければ男の優しさがないなんて、そんなことがあるはずがない。性欲と男性の優しさとは関係ない、すべてを性の対象と考える、なんとお前は最低の人間なのだ」というものです。
「性があればこそ、男性の優しさである」と書いたことに、文句があるのでしたら、それは手前どもにではなく、性欲という本能を授けられた神様にこそクレームをつけていただきたいものでございます。
性欲というと、すぐにしかめっ面をなされる向きがございますが、とんだお門違いでございます…