「オウム真理教を告発したのは・・・ワタクシだ」

眠れない夜がやってきました。

4年前のロンドンオリンピックの時も時差の関係上、夜中から明け方近くに試合が行われ、寝不足の日々が続いたのでございますが、この度のリオ五輪も時差は真逆の12時間違い、深夜に日本人選手の熱戦が繰り広げられることが多く、眠い目を擦りながらの応援合戦となっております。

4年前のロンドン五輪は病院のベッドで観戦しておりました。

250万人に何人だか、の奇病にかかり、大学病院の医師が病室にやって来て、このままでは1週間以内に100%死にます、の死の宣告を受けました。

ならば、と生還率50%といわれる手術を受けました。

手術は12時間近くに及びました。

術後はICUに3日ほど滞在し、その後一般病室へと移りました。

肺炎などを併発し、高熱にうなされ夢うつつで、あの世へ行ったり来たりの経過をたどりました。

そんなさ中のロンドンオリンピック開催でした。

明日をも知れぬ身なのに、日本人選手の活躍が気になって仕方がありませんでした。

同室の入居者に気を使いながらも、枕元のテレビをイヤホンをかけながら観戦し、朝まで勝負の行方に一喜一憂をいたしたものでございます。

観戦しながら、4年後のリオデジャネイロオリンピックは、もう自分は見ることはできないのではないか、と頭の隅で考えていました。

実際のところ、家族は担当医師から「駄目かもしれませんので、身内の方にご連絡をされた方がよろしいでしょう」のアドバイスを受けていたのです。

時が流れて、幸いにもまたあの熱狂を、再び味わう季節とめぐりあうことができたのでございます。

ともすれば、自分の命の少なさを考え、心が落ち込み、出口のない暗闇の中で悶々とする刻を過ごすことを余儀なくされた境遇でしたが、オリンピック観戦がその「ピンチ」を救ってくれたのです。

まさしく「ピンチ」は「自分の心が作り出すプレッシャー」なのでございました。

オリンピックで繰り広げられる選手たちの懸命な戦いぶりを目の当たりにして「自分も頑張らねば」との勇気を頂戴したものです。

この度も世界のトップアスリートたちが、どんな手に汗握る戦いを繰り広げてくれるのか、とワクワクして目が離せずに眠れない夜が続いております。

金メダルをとった萩野公介選手は「1年前の今頃は肘の負傷で、練習で泳ぐこともできませんでした。あの苦しい時期があったから、今回の金メダルがあったんだと思います」とキング・オブ・スイマーと称される400メートルメドレーの金メダリストに相応しいコメントを出されております。

這いつくばって逆境を生きる人生を送っている人々にとって、どれ程励みとなったことでありましょうか。

4年に一度の筋書きの無いドラマを満喫できる熱い夏の始まり、でございます。

4年ぶりに観賞して痛感したことがございます。

勝負事はやっぱり、マグレや運ではなく、実力がある者が勝つ、ということでございます。

それでも運やラッキーを信じて、日本選手団を応援してしまうのでございます。これこそ、やむにやまれぬ大和魂、というものではないでしょうか。

5年ぶりに中国、上海に行って参りました。

観光などという余裕はなく、これまたやむにやまれぬ仕事故の上海行き、でございました。

羽田の空港ロビーのベンチで搭乗時間待ち、をしておりましたら、傍に東洋人風の青年がおりました。

どこから来ましたか、と訪ねましたら「中国からです」との答えです。

話す日本語に中国人独特の訛りも感じられず、スムーズな話しぶりでした。

痩せ型で中背の、目もとが涼しい容貌の青年です。

「失礼ですが日本には観光でいらっしゃったんですか」と尋ねましたら「いいえ、違います。日本で医者になるための勉強をしています。現在は日本語学校に通い、日本語を学んでいます」とのことでございました。

日本で医者になるために勉強をしている、とはナントモ見上げた根性でございます。

是非とも初志貫徹なされて、見事お医者さまになっていただきたく思いました。

しばらくとりとめのない会話をしてお別れしました。また、これをご縁にどこかで会う機会があったら、と名刺をお渡しして別れました。

入管の出国手続きの列に並んでいますと、先ほどの青年が手前どもを見て向こうから駆けよってきました。

片手にスマホを握っています。

青年はそのスマホの画面を手前どもの前にかざして見せました。

画面には手前どもの顔写真の下に、中国語でなにか書かれてあるのが見えました。

青年は、少し顔を紅潮させながら手前どもに向かって「アナタ、日本で一番スケベな監督さん!」と宣ったのでございます。

青年の顔は、明るく上気していました。

思わぬ場所で、それまで知ることのなかった日本人と会って、いささか興奮を隠しきれないような面持ちでございます。

「一緒に記念写真を撮りましょうか」と話を向けますと青年は「是非お願いします」と言いました。

青年の右手にかざしたスマホに向かい、右手を突き出して、指の間から親指を出す「オ○ンコ!」のいつもの決めゼリフを放ちました。

タイミングがズレて青年はスマホのシャッターを押しました。

「いい?一緒に”オ○ンコ!”と言って、その瞬間にカメラのシャッターを押すんですよ」と青年に伝えました。

中国人の青年は「オ○ンコ」の意味はよく理解しているようで、恥ずかしげな表情をしました。

「”オ○ンコ!”の合言葉が言えないのなら一緒に写真は撮らないよ」と言うと、青年は慌てて「言います、”オ○ンコ!”」と言うのです。

改めてスマホのレンズに向かい、2人が顔を寄せて「オ〇ンコ」と叫んだのでございます。

青年は絶妙なタイミングでシャッターを押しました。

出国手続きの行列を作っていた前後の日本人が「こんな場所でなんということを」と呆れた顔で手前どもを見ておりました。

場所柄もわきまえない異文化交流の花が咲いた、一幕でございます。

上海は5年ぶりでございました。

8月初旬のこの時期は熱く、体感温度は40度にものぼる、とのことでございます。

迎えに来た日本人スタッフの車で、飛行場から宿泊予定の上海市内のホテルに向かいました。

上海市内に入って、道中、驚いたことが2つございました。

1つは…

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