舛添知事が辞任なされました。
すったもんだの挙句、ついに、、、はSEXでのインサートで使う形容ですが、この度の舛添さまの「辞任劇」もまさしくすったもんだの挙句、ついに、となったのでございます。
退任の日、従来は行われていた職務代理となる副知事への引継ぎのセレモニーも行われず、知事の仕事をバックアップしていた東京都政策企画室や、お世話になった自公の会派への挨拶もありませんでした。
勿論、退任にあたっての記者会見も行われず、自分に票を入れてくれた200万有余の有権者へは一言も無く、都庁職員の見送りもないままに都庁を立ち去られたのでございます。
まるでコソ泥のように、いやコソ泥そのもののように、であったのでございます。
都知事はトップリーダーだ、と言い放っておられましたのに、とんだ礼儀知らずのトップリーダーがいたものでございます。
TVでネクタイもせずに醜悪な顔を見せて立ち去る舛添さまのお姿に、都民はスペルマを放出した後の、えもいわれぬアノ喪失感のごとき虚しさを覚えたものでございます。
が、それもこれも種をまいたのは、あのウンチを都知事に選んだ我々都民の方でございます。
世論、とやらはどこまで正しいのでありましょうか。
2001年2月、朝日新聞の調査によれば、次の首相に相応しい人物として1位に田中眞紀子さまが選ばれています。
2010年3月、共同通信の調べでは1位は舛添要一さまになっています。
そして2010年7月の時事通信社の調べによると、1位は、かの渡辺喜美さまとなっています。
まったく背筋が寒くなるような結果でございます。
こんな風だったらいつか手前どもが1位の座につく日がまったくゼロではないように思われます。
そんな日が来たら、きっと強制隔離となるでありましょう。否、その前に殺してくださって結構です、とお願い申し上げたく存じます。
誰かに貢献することこそ、地球で生きるあなたが払う家賃である、との言葉がありますが、舛さまはこの言葉とは全く縁のない生き方をなされてこられた方でした。
石川啄木の句に「わが抱く 思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く」があります。
舛添さまを突き動かしていたものは、思想でも哲学でもなく、幼少時代に経験した貧困からの脱出、であったのでございました。
東大助教授として言論界にデビューして「朝まで生テレビ」に出演しはじめた1980年代後半頃までは学者らしい姿を見せておられましたが、東大助教の職を辞められて評論家として活躍する頃からは1回300万円といわれる講演バブルに浮かれて、セコイ、お金が全て、の人格に磨きをかけられたのでございました。
舛添先生が政治家に転身されてから、然るべき評価をされるようなことは何もなされておりません。
ただ東京大学法学部卒という看板だけで食ってきた男、でございます。
舛添さまのあるまじき行状が明らかになって、世間の人々が多くのものを学びました。
その最たるものが「東大法学部卒のロクデナシ」でございます。
人を上から目線でしか見ることができず、自分を等身大で見る良識を失った人格破綻者、でございます。
舛添さまはこれから先、どんな社会でご活躍なされることができるでしょうか。
正体がバレた今となっては、おいそれとまともな職にありつけそうには思われません。
政治資金の名目でタップリため込んだ金や絵、湯河原の別荘などの資産がございますでしょうから、食うに困るということは生涯ありますまい。
なにせこの度2200万円もの退職金と380万円のボーナスを手にしての退職なのでございます。
が、本来は目立ちたがりやの舛添さまでござます。世間に出没して、もう一山当てたい、と心ひそかに願われている筈でございます。
そんな舛添さまにうってつけのお仕事がございます…