◆本日発売「週刊大衆」ご笑覧ください。
三遊亭円楽師匠の浮気がFRIDAYされました。
お相手はファンのお一人で40代独身女性、ゴルフのコンペで知り合いイベントのお手伝いをしていただいているうちに、わりない仲になった、というお定まりのケースでございます。
釈明記者会見をテレビで見ました。
この頃ではテレビのコンプライアンスというのがうるさく、笑点のレギュラーである円楽師匠も、その関門を避けて通ることができず、と判断なされての記者会見でございました。
一般の大衆はそもそも落語家に牧師さまのような道徳の教科書のごとき生き方を望んでおりません。
牧師さまだって裏庭では若竹を掘ったり、掘られたり、の精進を積んでおられるご時世でございます。
ファンが芸人に望んでいるのはワクワクさせてくれること、でございます。
ドキドキさせてくれさえすれば、大概のことは棒引きしてくださるのです。
いわんや、落語家の浮気なんぞ、芸のうち、でございます。
立川談志は、「落語は人間の業の肯定である」と喝破しました。
浮気なんぞは人間の業そのものでございます。
芸人の浮気を否定するのは、アスリートの筋肉を否定するようなものでございます。
そうした筋肉があるから、驚くような速さで走り、目を見張るようなプレイを見せてくれるのです。
「角を矯めて牛を殺す」ごとく、芸人の生き方に聖人君子のそれを求めるなんぞは、とんだお門違いというものでございます。
が、今日においては芸人にとって「テレビ出演」は飯の種でございます。
「世間」という得体の知れない魔物を相手にして「古典的で粋な生き方」は許されないご時世でございます。
ましてやこのSNSの時代、不寛容な「世間の常識」とやらが大手を振ってはびこっております。
ドン・キホーテのように無駄な戦いを挑むなんて愚の骨頂でございます。
ここは芸人魂を曲げても頭を低くして嵐の過ぎ去るのを待つのが賢者というものです。
先の桂文枝師匠の浮気がバレた際の記者会見では、文枝師匠は当節の流儀にならって頭を丸められて登場し、目に涙さえ浮かべられる、という役柄を演じられたのでございます。
確かにこうした危機管理によって、長年続けられてきた「新婚さんいらっしゃい!」の番組司会の座を降ろされることなく、事なきを得たようにに見受けられます。
が、裏切られたような思いとなったのは、これまでの文枝師匠のエスプリのきいた芸風に魅せられてきたファンの方でございます。
なにも頭を丸めて涙なんぞ浮かべなくても、シャレのめしてしまえば済むものを、と落胆させられたのでした。
もっとピンチをチャンスにするような、転んでもただでは起きぬ芸人魂のパフォーマンスがあってしかるべきでは、と唐突な姫君の潮吹きにあって顔面をズブ濡れにした時の喪失感を覚えたものでございます。
さて、この度の円楽師匠は、いかなるさばきぶりを見せられるのであろうか、と注目しておりました。
期待を裏切らず、の洒脱な話芸を見せていただき、思わず「座布団3枚!」の声掛けをいたしました。
秀逸だったのは「今回の騒動と掛けまして、今、東京湾を出て行った船と解きます」その心は「航海(後悔)の真っ最中」、でございました。
まさしく文枝師匠とは月とスッポン、ファンの一人としてなんとも溜飲を下げることができた名場面でございました。
文枝師匠との差はなんであったでありましょうか。
ピンチにあっての、ハートの強さ、でございます。いざとなったら仕方がない、なるようにしかならないのだから、の潔さが、「禍を転じて福となす」となって円楽師匠の男を上げ、その潔さのなかった文枝師匠の男を下げたのでございます。
テレビに出演してなどおりますと世評などが気になり、とかく本来の自分が持っている「芸風」が委縮してしまいがちでございます。
テレビの現場に行けば、たいして面白いことを言わずとも、観客やスタッフが大笑いしてくれる、優しく、緩い空間が待ってくれています。
そうしたなれ合いの中で「芸」をやっているうちに、自分の本来の芸が失われていくのでございますが、テレビの魔力は「なずむこと」をヨシとしてくれるところにあります。
マンネリこそ、テレビの世界では「商品価値」なのでございます。
ただテレビに出て、笑わせるでなく笑ってさえいれば仕事になる、というなんとも居心地のいい世界でございます。
そしてやがて、どれほどテレビの世界で名が売れて仕事をこなしていても、テレビの世界から飛び出していって劇場などで芸を見せるとクスリとも笑いをとることのできない体たらくとなるのでございます。
せいぜい笑いをとることができても、芸の切れ味というより「日頃テレビで見ているから」、の観客側のシンパシーでしかありえないのでございます。
テレビを見ていておかしくもない芸人の話に花を添えているのは、仕込みの観客の笑いと、スタッフの気遣いの大笑いでございます。
こうした状況下にあっても自分の芸風を研ぎ澄ましてとがり続ける、には余程の覚悟と心の強さが必要とされます。
その意味で、この度の円楽師匠の臆病風に吹かれることのない「唯我独尊」的振る舞いは、本来芸人のあるべき姿を見せていただき、実に痛感でございました。
昔のお笑い芸人は私生活を含めて、全て芸に昇華させて見せてくれました。
破天荒な生き方そのものを「芸」とした、藤山寛美や三木のり平、森繁久彌の「芸」には、常人にはない「粋」と「華」が宿っていました。
が、この頃ではテレビのひな壇に並んで小さく縮こまって屁もひらず、の芸人ばかりです。
かつてのお笑い芸人のように、哀れな末路を見せることなく安全な人生となってでしょうが、なんとも迫力に欠けて物足りません。
腹をよじって笑い転げたような藤山寛美や三木のり平、森繁久彌の「芸の真髄」から日本人は久しく見放されているのではないでしょうか。
海老蔵さまの奥方の麻央さまが「乳癌」の闘病中ということで、大きな話題を呼びました。
酒場などでは女性相手に、この機会に触診をしてあげる、の他人の不幸を蜜の味とせんとする不心得者が続出いたしました。
12人中1人が乳癌となる、といわれる時代です。
美人薄命といいますが、なぜお若くてお美しい方があんな忌まわしい病気におかされてしまったのか、と呆然とする思いです。