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特集記事が組まれております。警察の取り調べ室であってはならないこと、
のエピソードなどが紹介されています。
大学病院では入院患者からの御礼の贈り物を、基本的には絶対に受け取りません。
贈り物の多い少ないで患者に差をつけている、と疑念を持たれかねないからです。
李下に冠を正さず、のコンプライアンスなのでございます。
手前どもが入院していたことのある有名な大学病院でも、お世話になった看護婦さんへ、と退院時に果物の缶詰めのささやかな御礼の品を差し出しましたら、「あいにくですが、病院の規則で受け取ってはいけないことになっていますので」と婦長さまにつき返されたことがございます。
その頑なさは少しも嫌味でなく、恐縮しながら受け取りを拒否する婦長さまのお姿に清々しさを感じ、大学病院への信頼が増したものでございます。
が、担当してくれていた主任の准教授は違いました。
退院時に個室の医療関係者の控室に一人招き入れられ、退院後の生活指導のアドバイスを受けました。
話の内容は、これまでの入院中でも何度か看護婦や他の医師から受けていたもので、格段のものはなにもありませんでした。
5分ほどの面談の後、入院中にお世話になったことへの御礼を申し上げて控え室を後にしたのでございましたが、別れ際に見た准教授の態度の素っ気なさがひっかかり、心の中で理由のない不安を抱きました。
退院後2週間ほど過ぎて、その後の病状の経過を見ていただきに入院していた大学病院に行き、担当医であった准教授の診察を受けました。
血液検査の結果をみながら「まあ、問題ないでしょう」と、診察を終えました。
が、手前どもは生来の「弱虫」でございます。
これから先の身体の不安に襲われ、つい准教授に「先生、ワタシはこれから先、いつまで生きられるでしょうか」と訴えたのでございます。
すると件の准教授、眉間に急に血管を浮き上がらせて「そんなこと神様でもない私に分かるわけないじゃありませんか。癌にかかって死ぬかもしれないのに」とキレられたのでございます。
「あなたばかりを診ているわけにはいかないんです。私には待っている救わなければならない命があるんです。今日はこれで終わります。いいですね」とのごもっとものお叱りを受け、追い出されるように診察室を後にしたのでございます。
なんとまあ、あの准教授はあんなに怒りっぽいのだろう、と戸惑いつつも、退院時の控室での准教授の素っ気ない態度が思い起こされました。
入院中は愛想よく応診してくださっていたのに、どうしてあれほどに退院時に急変されたのか、と合点がいかなかったのです。
思いあたることが一つ、ありました。
退院1週間の頃、友人が見舞いに訪れました。友人は私が「本名」で入院していることを知らず「村西とおるさんの面会に来た」とナースステーションで受付の看護婦さまに伝えられたのでございます。
若い看護婦さまは手前どもが村西とおるであることを知る由もなく、「そういった方は当病院には入院なされておりません」と答えられたのでございます。
友人は、それを「職業差別」と曲解し、「そんなことはない、あの村西とおるがここに入院しているのは本人から連絡をもらって知っているんだ。なにかアナタは職業で入院患者をえこひいきしているのか」と息巻いたものでございます。
もとより若い看護婦さまは、そうした「差別意識」などあろうはずがありません。
そもそも彼女は「村西とおる」なる名前の人間がどこの何者であるか、の認識がまったくなかったのでございますから。
友人の「あの村西とおるが…」の息巻きに、何事か、とナースステーションは、ちょっとした騒動となりました。
その場から電話がかかってきて「今、監督の見舞いにきているんだけど、そんな人間は入院していない、って受付で邪険にされているんだ、何号室に入院しているんだ」の話でございます。
慌てて本名で入院していることを伝え、静かに病室に来るようにと室のナンバーを教えたのでございました。
この一件があったから、といってもその後、手前どもへの看護婦さまの態度はなにか変わる様子などありませんでした。
が、このことを知った准教授が手前どもの「職業」に対する嫌悪感を持たれていて、アレが”村西とおる”だったら、あの時世のため人のためにとどめを刺しておくべきであった、かのごとき間違った正義感を燃えたぎらせたのでは、との疑念が過ったのでございます。
が、まさかそんなことはあるまい、と心の中で打ち消しました。
それとも…と別のもう一つのことが頭に浮かびました。
入院してお世話になった患者は、いくばくかの御礼を担当医に包む慣例がある、との噂です。
なにせこれまでの人生では病院にはほとんど縁のない生活を送ってきました。
入院など1日もしたことがなく、病院にかかったことといえば歯医者ぐらいでございました。
病院の事情に疎く、お医者さまとのかかわり合いに疎かった手前どもは、そうした「世間の常識」とは縁のないところを歩いていて、知らずのうちに「非礼」を働き、担当准教授に不愉快な思いをさせてしまったのか、と反省したものでございます。
お医者さまといえども人の子、必死になって命を救った患者から、わずかばかりであっても寸志が届いて憎らしく思うはずがございません。
我ながら、抜かったものよ、でございました。
その後、准教授の度をこした傲慢な態度に我慢ならなくなり、別の病院に通う顛末となったのでございます。
そうしたこともあって先週のFRIDAYに掲載された天才外科医のスキャンダルには目を奪われました。
「天皇の執刀医」としても知られる順天堂大学医学部院長・天野篤さまと暴力団幹部との間での「癒着」の話でございます。
それは単に「癒着」というシンプルなものではありません。
四代目山健組で若頭を務めた山本國春(66)は殺人に絡む罪で懲役20年の刑が確定していながら、この天才外科医の「診断書」のおかげで刑の執行を免れ、シャバでのうのうと暮らしている、というのでございます。
2007年5月、JR三ノ宮駅(神戸市)近くを歩いていた四代目山健組系多三郎一家の後藤一男総長が男と口論になり、めった刺しにされて殺されるという事件が発生しました。
健國会組員ら13人が殺人容疑で逮捕されました。
動機は執行部批判を繰り返していた後藤総長の粛清でした。
その指示を出したとして組織犯罪処罰法違反(組織的殺人)容疑で逮捕されたのが山本元若頭でした。
一審では無罪を勝ち取りましたが、14年1月の控訴審で大阪高裁は一審判決を破棄、懲役20年の有罪判決が下っています。
山本元若頭は上告しましたが棄却され、15年6月、懲役20年が確定しました。
しかし、あれから1年近く経過しているというのに、どうして山本元若頭は塀の中ではなく、シャバで我が世の春を謳歌することができているのでしょうか。
順天堂病院天野院長の「収監は好ましくない」の診断書のおかげでございます。
大阪高検に出されたのは正確にいえば「診断書」ではなく「回答書」です。
大阪高検から山本元若頭が入院していた順天堂病院に病状についての問い合わせがあり、天野院長が書面で回答したものです。
その中には次のようなことが書かれていたといいます。
「感染症リスクが高いので他人が使ったタオルを触るのは危険。生もの、生水を口にしてはいけない。人ごみも避けるべき。トイレで踏ん張っただけで死ぬリスクがある」
FRIDAYの記者は、真っ黒に日焼けした顔で順天堂病院から外出して、神戸に向かう山本元若頭の姿は、とても「診断書」に書かれているような重病人には見えなかった、と記事で述べられています。
何故に「元気」な山本元若頭は「重篤である」との診断書が書かれたのでありましょうか。
FRIDAY誌によれば、この1年間に山本元若頭から天野教授に贈られた高額な品々をみれば、その理由は明らかだ、というのでございます。
大量の高価なマスクメロン、その他1本1万円近くする高級ワインの箱詰め、神戸牛1頭セット、魚沼産ブランド米300キロ、の段ボール10箱もの山が贈呈されているのでございます。
コンプライアンスに詳しい、郷原信郎弁護士は「医師が診療の謝礼として贈答品を受け取ることには問題がある」と指摘しています。
「それが暴力団からの贈答と分かっていたら、断固拒絶すべきでしょう」と述べられています。
しかしながら、拒絶するどころか天野院長は医局員と贈答品をシェアしていた、というのでございます。
「名医」として順天堂病院のトップに君臨する天野篤さまは、12年2月に天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術を成功させた「天皇の執刀医」として知られる人物です。
東大閥、慶応閥がはびこる医学界で、三浪して日大医学部に入り、非エリートとして腕を磨き、「天皇の執刀医」にのぼり詰めたことは医学界のみならず、日本国民にも大きな衝撃と感動をもって迎え入れられ、「生きる伝説の人」でもございます。
年間500件、通算で7000件近くという驚異的な数の心臓外科手術をこなし、しかも成功率は98%だという「世界一の心臓外科医」を自負する天野院長が、いつから暴力団幹部からの贈り物に心を滅ぼすようなことになってしまわれたのでありましょうか。
FRIDAYの今週号では書かれていませんでしたが、その他、手術患者には平気で100万円を要求する、とか、順天堂大での心臓手術には表面には出てきていないが、看過できない「医療過誤」による被害者が多数いる、との芳しからざる噂が囁かれています。
「”黒い”巨塔」と化した、変節した天才外科医の実像に迫るFRIDAYの続報が待たれるのでございます。
が、知り合いの医療関係者によれば、この「天野院長」の知られざるスキャンダルの実像を暴くことは、なかなか困難である、とのことでございます。
なにせ相手は「天皇の執刀医」です。
今後、天皇になにかあれば、その存在は無視できない人物でもございます。
そうしたことを勘案すればなかなか容易に取り上げられない「取材対象」なのでございます。
この度の一件は既に各テレビ局報道や週刊誌、新聞もご承知のことでございますが、追従して取り上げた媒体は一つもないことを見ても「”黒い”巨塔」の壁はいかに高いかを思い知るのでございます。
しかし、心臓外科医とは人の命の生き死にに直結する立場のお仕事を担っているのでございます。
わけても「天皇の執刀医」となれば、その「医術のありよう」が厳しく問われることからは免れません。
FRIDAY以外の報道機関の「長いものには巻かれろ」の怠惰な姿勢に愕然とする思いでございます。
北海道七飯町で行方不明になっていた小学校2年生の男の子が無事発見されました。
なんとまあ1週間近くもあんな場所でよくも一人で生きながらえていたものと、その生命力の逞しさに感心するのでございます。
ご両親の心配はどれほどのものであったでございましょうか…