「舛添都知事さまの言い訳、人工知能が出来得ないこと」

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高須クリニックの院長が熊本の被災者に自費を投じられてヘリコプターで緊急物資を届けられました。

ジャパネットたかたの高田前社長は応援セールを実施なされて売り上げ金全額を熊本の被災地に寄付することを表明されました。

見事な「漢」(おとこ)ぶりでございます。

タレントの紗栄子さまもポンと500万2000円を送られておられます。

テレビ界から引退を表明された岡本夏生さまは「私に今できることはこれだけ」と100万円の寄付でございます。

こうした善意に対して、またしても「売名行為だ」「偽善だ」とネットで批判する声があります。

黙れ、痴れ者、でございます。

自分じゃ何もできない、やりもしない便所の落書きフゼイが、何を言うか、でございます。

SNSの時代、誰でも皆に向かって情報を発信できる時代、良識というチェックを受けることなく剥き出しの毒を吐いて相手を傷つけ恥じない通り魔のホザキが目に余ります。

投げたボールは必ず自分に返ってくることを知らずのバチ当たりでございます。

やらない善よりやる善。

なりふり構わず応援するこれらの著名人に脱帽し、心から敬意を表します。

こうした災害時に活躍する著名人を横目にしながら、自分の生活で目いっぱいなのがほとんどの人々でございます。

そうしたもどかしさ、切なさがつい毒舌となってSNSに向かい、吐き出す、という八つ当たりの気持ちは分からないわけでもございません。

それなら原っぱや、人のいない公園で思い切り「バカヤロー」とやるが身の為でございます。

この「バカヤロー」をやって公園のベンチの向こうにいた若い男が自分に向かって放たれた言葉と勘違いをして「何を、この野郎」と殴りかかられたことがございますから、くれぐれもご用心、ではございます。

この「バカヤロー」を一面識もない相手に放つ無礼な輩がSNSの世界に生息しております。

「バカヤロー」に「バカヤロー」と返すことほど愚かなことはございません。

そんな「バカヤロー」には「無関心は愛の反対語である」を地でいくこと、の知恵を働かせるのが一番効果的でございます。

面識のない年下の人間が(大多数は年下でございます)「お前」だの「バカヤロー」だのの言葉を相手の人間に対してよく言えたものでございます。

尋常じゃない変人の吐く、「病んだ言葉」などには少しも痛痒は感じませんが、もう一度小学校に入りなおして、子供たちと一緒にお行儀の勉強をしなおしていただくことをオススメします。

熊本を襲った大地震を見て思うことは、誰でも、自分ではどうにもならない不可抗力の災いに、いつ襲われるか知れない、という「明日は我が身」の不条理でございます。

「生きているだけで儲けもの」といったのは明石家さんまさまでございますが、この頃ではこの言葉が胸にしみてございます。

人は、ともすれば運が悪いことを嘆くのでございますが、気がつかなかっただけで、これまで命を失うような大変な不運に見舞われるところを、一瞬の違いで免れてきたということが沢山あったのではないでしょうか。

人生での吉と凶は五分と五分、といいます。

吉だけの人生はありえず、凶だけの人生もありえないのでございます。

例えば体の内で致命傷となる癌細胞が芽を出し、気づかないうちに消滅した、ということはいくらでもあったのではないでしょうか。

気がつかなかっただけで、或いは危機一髪のところで交通事故に遭わずにすんだ、ということもあったはずでございます。

「運が良いことが山ほどあった」のなら、「運の悪いことも山ほどあった」のでございます。

それが運の悪さとして表面化しなかったのは、運の良さが働いて知らず知らずのうちに五分と五分の運命が相殺してくれていたからでございます。

そう考えれば、アレもシたい、コレも欲しい、の我欲を抑えて「生きているだけで儲けもの」の境地に素直に立てるような気がするのでございます。

熊本の地震の余波がいつか自分のところにやってくるのでは、と怯える人たちがいます。

いつもの「人の不幸は蜜の味」として生きているメディアの「煽りの情報」の影響を受けての動揺でございます。

地震など、この地震列島の島国に住む私たち日本人にとっては、少しも珍しいことではありません。

いちいち付和雷同することなく、この土地に優れた文化を築いてきた民族の末裔であるとの自負を持って怯えることなく「来るなら来い」の構えで生きていきたいものでございます。

先の東北大震災では小沢一郎さまのように、女房や選挙民を放っぽりだして自分だけ京都に逃げ出した「正直者」がおられました。

が、多くの東北人はいざとなったらご先祖さまが生き抜いたこの大地を枕に死ぬ覚悟でございました。

この故郷を捨ててどこかで生き延びよう、などとの不届きな考えは少しも浮かばなかったのでございます。

問われているのは、日本人としてこの三寒四温の実り豊かな地に、生涯なにがあっても骨を埋める覚悟で生きていくことでございます。

最近は地震が多いからそのうち南海トラフの大地震が起きるのでは、との情緒不安定な面持ちの方もおられますが、天変地異は歴史の必然でございます。今にはじまったことではございません。

「こんなのはじめて」はSEXのみならず、その連続が人間の歴史でございます。

熊本地震があったからといって何を今更、でございます。

勿論、備えあれば憂いなし、は言うまでもないことでございますが、過度に神経過敏になられて萎縮されることは「百害あって一利なし」でございます。

熊本では被災者の家へ忍びこんで盗人のコソ泥による窃盗被害が相次いでいるようです。

人の不幸につけ込んで狼藉を働くトンデモない奴等でございます。

こうした火事場泥棒は何処の国にもいるものでございますが、まったく、同じ日本人なのになんということを、と情けない思いをしているのは手前だけではないでありましょう。

が、「浜の真砂は尽くるとも、世に盗人の種は尽きまじ」といわれているように、豊かになった、といわれるこの日本でも、泥棒がどれほど多いかを知るには警察の留置場に行ってみれば一目瞭然でございます。

留置場で過半数を占めるのは覚醒剤犯罪者とこの泥棒、でございます…

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