WHOによれば2012年の大気汚染による死者数は世界で年間700万人といわれています。
三大感染症といわれる病気による死者は約430万人です。
人類にとっての最大の課題として「大気汚染」が立ちはだかっています。
今後、新興国の経済成長にともなってますます被害者の数は増えることが予想されています。
死亡者数の1位は中国、続いてインド、3位ロシア、4位アメリカ、となっています。
11位には我が日本で、大気汚染の疾患で年間2万3000人が命を落としています。
カリフォルニア大学バークレー校の調査では被害は更に大きく、中国では毎日4000人が大気汚染による影響で死んでいるのです。
もはや人類の最大の健康被害の脅威はこの石炭などの化石燃料による火力発電がまき散らす「大気汚染」です。
これを解決する方法は原子力による発電しかありません。
原子力発電は人類が過去に手にした最も安全なものです。
フクイチの100倍という放射能を放出したチェルノブイリの事故では消火にあたった50人の消防士が死に、汚染された牧草を食べた乳牛のミルクを飲んだ10人の子供たちが被害に遭っていますが、それ以上の被害は報告されていません。
いまだに原子力発電を悪者にしているマスコミや科学者が存在しますが、不届きなデマ屋以外、何者でもありません。
フクイチの時に「もはやこれまで」の大騒ぎをしたために、今更振り上げた斧を下ろすわけにもいかず、自己正当化のために「原発危ない」を言っているにすぎません。
人命重視をいうなら大気汚染によって年間死亡している700万人のことをどうするか、その対策について語るべきです。
本質論から逃げてばかりいて揚げ足とりをしているだけのこうした不逞の輩は許し難いものです。
不逞の輩の決まり文句に「分かりにくい」があります。
SEXのことならいくらでも勉強するクセに、いい加減にしろ、というのでございます。
「分かりにくい」なら勉強すればいいだけのこと、は、何も小中学生に限ったことではありません。
今こそ石炭などの化石燃料による火力発電ゼロをめざし、人類の英知を結集し、原子力発電に取り組みべきです。
原発反対をいたずらに叫ぶ人たちは、大気汚染によって亡くなっている700万人の命の重みをどのように考えているのでしょうか。
正義の仮面を被った「原発危ないテロリスト」め、でございます。
相馬中央病院の越智小枝さまは「もう福島は危険でないのにまだ多くの人が帰還できない、これは医学の領域ではなく心理学の問題です」と訴えています。
小学生の時、遠足に持って行くお菓子を買いに、近所の雑貨屋に行きました。
母親が持たせてくれた50円紙幣で好きなお菓子を買いました。
母親の使いで醤油や味噌を買いに来ていましたが、菓子などを買うのは初めてのことでした。
雑貨屋のオバさんに「遠足なの」と聞かれました。
「はい」と答えました。得意気で嬉しそうな顔をしていたと思います。
オバさんは「そう、よかったね、それじゃこれ持って行きな、いつもおつかいに来てくれるからオバさんからのプレゼントだよ」
と店の中央の天井から吊るしてあったバナナの房から1本を抜き取り渡してくれました。
実のところは、この雑貨屋に行く度にバナナが気になって仕方がありませんでした。
いつになったらあんなバナナを食べられるんだろう、と眺めていました。
オバさんの店にバナナが吊るされるようになってから、いつも気になって仕方がなかったのです。
写真では見たことがあっても実物を見たのははじめてでした。
最初は10房位のバナナが束になっていたものが、日を重ねるごとに段々少なくなっていきました。
こんな高いバナナを誰が買っていくのだろう、と羨ましくてなりませんでした。
多分あの頃の1本のバナナは現在の貨幣価値で3000円ぐらいはしていたのではないでしょうか。
そのバナナを突然プレゼントされて興奮しました。
「ありがとうございます」のお礼もそこそこに家へ飛んで帰りました。
そして母親にバナナを見せたのです。 母親は一瞬万引きをしてきたのか、と驚いた顔を見せました。
「お店のオバさんに遠足で食べな、って貰ったんだよ」と話しました。
母親は相好を崩して「よかったね」と喜んでくれました。
夜、布団の中にバナナを持って入りました。布団を被っていると匂いが布団の中に充満しました。
当時は「少年ケニヤ」という漫画が子供の間で人気がありました。
少年がアフリカのケニヤに行って動物たちを友として暮らす、という冒険物語です。作中に頻繁にバナナが出てきました。
バナナの匂いがアフリカのジャングルを想い起こさせて、なおさらドキドキしたのです。
アフリカの象やチンパンジーはこれを食べているんだ、と自分も少年ケニヤになってアフリカで冒険をしているような気分になったのです。
バナナにはまだ見ぬアフリカの大地の夢がいっぱい詰まっていたのです。
明日遠足に行った先で皆の前でこのバナナを食べることを想像しました。
友達の誰彼を頭に浮かべてみると、マズイことに気がついたのです。
友達は皆、貧しい家庭の子供たちでした。バナナなど友達の中で誰一人として食べたことがないに違いありません。
バナナを持ってきていることに気付いた悪ガキたちはきっと、俺にも少し食べさせろ、と言ってくるに違いありません。そう考えると、このバナナを1本丸ごと遠足にもって行くことが危険に感じられました。
そして明日遠足までこのまま食べずにいることが我慢できなくなっていました。
半分だけ食べることにしました。皮をムいて半分だけを折って一口分だけ口に入れました。
これまで感じたことのない不思議な感触が口いっぱいに広がりました。
美味しい、という記憶がありません。なんだかヘンな味、といった感想が勝っていました。
でも念願のバナナを食べたことでとても満たされた気分になったことは覚えています。
翌日の遠足で昼飯時、友達の前で半分だけ残しておいたバナナを取り出し食べて見せました。
周囲にいた5、6人の悪ガキはア然としたような顔をして手前どもが食べるのを見ていました。
普段だったら「どんな味がする」とか「俺にも食べさせろ」と言ってくるのに、ただ黙って手前どもの口元を呆気にとられたように見ているだけでした。
気まずい雰囲気が流れました。そのまま遠足から学校に戻るまで誰とも口をききませんでした。
今にして思えば、キャビアの缶を1缶持ってきて目の前でたいらげられた程の衝撃だったのでしょう。
食い物の恨みは恐ろしい、といいます。
バナナを皆の前で食べたせいで、それから数日間、手前どもだけ仲間ハズレ、となったのでございます。
毎日バナナを2本食べることを習慣にしています。
近所のスーパーで買ってくる「4本入り98円」の特売品のバナナでございます。
バナナは昔と比べて嘘のように安くなりました。
こんな値段で売っていて採算がとれるのだろうか、と心配になるほどです。
バナナは卵と同じように「物価安の王様」ではないでしょうか。
1本のバナナを巡って友達が口をきかなくなった時代があったことを知る日本人はほんの一握りとなっています。
ペットボトル500mlのミネラルウォーターの値段は120円します。
高い、安いがありましょうが、いつも買う、駅の自動販売機で売っている値段です。
ミネラルウォーター愛飲者は水道料金の500mlの料金0.12円の1000倍もの高い値段の水を飲んでいる計算になります。
水洗便所で流す水は1回の量が大が約12Lで3円、小が約4Lで1円です。
ミネラルウォーター500ml、1本分の値段で考えれば大は40回、小は120回水洗で水を流すことができます。
1回のウンコで120円のペットボトル120個分の値段の水を流すことのできる生活、豊かさ、って何でしょう。
このところガソリンの値段が安くなり1L100円を切るスタンドも現れています。
が、同じ量でもはるばる中東から運んできて精製されるガソリンの2倍の値段がミネラルウォーターについています。
考えてみれば随分と高価な水を飲んでいるのですが、日本人は当たり前のようにミネラルウォーターを飲んでいます。
中にはコメを炊く時やお茶を入れる時にも使う人がいます。
それなのに1ヶ月に食べる主食の5Kgのコメが1800円から200円上がって2000円になると「高い」と大騒ぎをします。
1日120円のミネラルウォーターを3本も4本も飲んでいるクセにです。
何かどこか、間違っている気がしてならないのは手前どもだけでしょうか。
事務所に深夜一人でいると、チャイムが鳴りました。
こんな遅い時間に誰かしらん、と訝りました。
訪れる客の予定はありません。ドアを開けると外にキャスケットをかぶり、白いマスクとサングラス姿の黒いコートの襟を立てた女性が立っていました。
見覚えのない方です。「どちらさまでしょうか」とお伺いしました。
先週の松居さまを思わせぶりな女性の一件以来、用心深くなっていました。
女性は周囲を見回しながら「中で詳しくお話します」と言って開いたドアから体を中にスリ抜けられたのです。
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